キャリア形成のウソ

人はなぜ何者かになろうとするのか?


キャリア形成という概念がある。仕事の経験を積むことでより高度な仕事ができるようなり、最終的には理想的な立場に立つことができるというような考え方だ。


しかし、こんな考えは間違っている。キャリア形成なんてものはない。人は立場のよって何者かになれるわけではない。


でも、ついつい何者かになれそうな期待を持ってしまう。何か理想的な仕事ができるような特等席があるように錯覚して、その特等席を目指そうとしてしまう。


でも、そんな特等席はどこにもない。


仕事というものは一人ではできない。もの作りなら原材料がいるし、サービスにだって道具が要る。どんな仕事も他の人の協業によって成立している。


なので、何かの仕事をしようとすれば、周り人を巻き込むしかない。何かやりたいことあれば、人を巻き込んではじめることだ。


立場というのはその人を巻き込むことに対してそれを説明しやすくするという効用がある。


映画監督と名乗っていれば、映画を取り始める時に周りに声をかける時に分かってもらいやすいだろう。整体師であれば、店を開くときに不動産屋で説明しやすくなる。


でも、それだけだ。


比較的少数の資格を必要とする職業でなければ、説明しやすくする、というただそれだけだ。周りを巻き込んで仕事始めるということは同じなのだ。そこについては立場があっても無くても何も変わらない。


だから、やりたいことあればただ始めればいいのだ。何か立場を得ることを待つ必要はない。


そういう意味で人は、自分が思っているよりよほど自由なのだ。自分がついている思っている職業や、会社中の役職とは関係ないことも、周りを巻き込んで始められるものである限りできてしまうのだ。そういう意味では人は何でもできる。


そこで立場を得ようとするから話がややこしくなるのだ。立場なんて説明をしやすくするだけなのに、そこに過大な期待をしてしまうのだ。


立場なんかによって、何者にもなれない。立場にこだわってしまい、自分の本来の自由さを見失ってしまうことの方が恐ろしいことだ。


周りの人さえうまく巻き込めればなんだってできる。その自由さに生きる方が実りの多い人生になるだろう。立場にこだわれば不自由を背負うことになり、そこに実りは期待できない。

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