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他愛もないこと

中国に『我们十七岁』というテレビ番組がありまして、「俺たち17歳」という意味なのですが、これが私の大のお気に入りであります。

30代〜40代の6人の男性出演者達が、中国国内外の秘境やビーチや様々なところに旅をするのですが、そこで実に他愛もないミニゲームをするのです。

後ろにジャンプして距離を競うとか、顔に挟んだ洗濯バサミから垂らした紐で缶を運ぶとか、そういった実に他愛もないミニゲームです。

その他愛もないミニゲームに真剣に取り組む大の大人達が可愛らしくも面白いのです。その姿がまさにこの番組が描きたい青春の姿なのだろうと思います。

青春とはそういう他愛もなさへの真剣な取り組みなのではないでしょうか。

様々な国の出身のマネジャー達と北カルフォルニアで小旅行をして、ワイナリーを回って朝から晩までワインを飲み続けました。

そこでの話題はずっと、好きなテレビドラマのことだったのです。House of CardsとかGame of Thronesとか、そういう話です。育った国も、住んでいる国もお互い違うので、それしか話題がなかったということもありますが、大の大人が何時間もテレビドラマの話を熱っぽく語る様にはとても驚きました。

何だね、君たちは家でテレビドラマなんか見ているのか!他にすることはないのか、とその時には思ったのです。

あまりの他愛もなさに力が抜ける思いでした。

しかし、実際にはそういう他愛もなさが必要なものだともわかった機会でもありました。

産業資本主義的な価値観は労働と蓄財を重視し、労働時間を増やし、労働密度を高め、労働を中心とした生活サイクル作り出します。

それは、何もかもを深刻なものに変えてしまい、他愛もないものは排除されてしまいます。

日本企業のタイ支社で働くタイの若者が研修で東京に来て、東京の出勤時間の街の様子を見て、「あの人達は一体あんなに深刻な顔をしてどこにいくのですか?」と聞いたということです。

その話をしてくれた日本人のその人もバンコクに何年も住んだあとではその違和感に共感できるのだそうです。

しかし、その深刻さが本当にビジネスでより良い成果をあげさせるのでしょうか。私はそうは思いません。

深刻さは仕事のあり方を知恵ではなく、目の前の作業にフォーカスさせ、労働者を知恵ではなく作業量で問題を解決するようにさせてしまいます。

すなわち、深刻さは労働者を奴隷に変えてしまうのです。

他愛もなさが、労働者を深刻さから開放し、労働者を奴隷でなく自律的にコミュニケーションできる個人にするのです。

同僚や、仕事で関わっている人と他愛もない話をしたいですね。他愛もない話を振ってくれると嬉しくなってしまいます。

そんなわけで、我们十七岁!青春不会累!

写真は戦勝70周年記念式典の時の天安門です。天安門西駅から天安門東駅まで歩くのに2時間かかりました。

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