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ただ、慣れるだけ

昔、仕事関係でのパーティーがとても嫌でした。こちらは仕事でしなければならないことが沢山あるのに、わざわざ時間を割いて、大した興味もないのに、なんとなく話を合わせたり、話が途切れるのが嫌で一生懸命話題をさがしたり、そういう諸々が嫌で、よくパーティーに参加せずにおりました。

それで、当時の上司に随分と注意を受けたことがあります。「パーティーなんて最初と最後にだけいればいいんだから、そこだけ現れて酔っ払っているふりをしてればいいんだから、それだけでもやりなさい」というのです。

それだけはっきり注意を受けたので、それからは義理としてパーティーにはいることにしました。組織の中で、存在感を維持するための作業の一環として受け入れることにしたのです。

その上司は、ベイエリアのスタートアップに転職して去っていきましたが、私は習慣としてパーティーにはいつもいることににしていました。特に楽しい話題もありません。ただ、習慣としてその場に漂って、「どう元気」「いいね」くらいの話をして「また、キャッチアップしようぜ」とかいって話を終わらせているだけです。

それが先日、あるカンファレンスのパーティーで、別の人のことを話をしていて、「あいつはこんな時にパーティーにも出てこないから駄目なんだよなー」なんていう話に加わっている自分がそこにいることに気づいたのです。

その事実に衝撃を受けました。自分がパーティーにただ慣れて、諸々の面倒なことが平気になったということに気づいたのです。

サラリーマンの生活において、何かが上手になるというのは多分にこの慣れによって、気にならなくなることであることだと思います。なんのことはない。ただ慣れるだけだということです。

慣れないことをするのは、沢山の新しい情報を受け止めることです。そこには新しい感触や感情があり、そこに拒否反応や逡巡があります。

そういった拒否反応や逡巡が、手を遅くします。

それはそのまま仕事の生産性を落とします。慣れることによって、新しい情報は減り、パターン化されて、判断や行動までに時間を要しなくなっていきます。仕事の生産性はそのようにして上がっていくのです。

そして、同時にその中で感触や感情を失っていくのです。すなわちそれはそのまま体験の機会を失っていくということです。

パーティーで興味もない話に無理に合わせる空々しさや、話題をなんとか絞り出そうとする気まずさという体験はもう私には失われてしまい、残っているのは「最近どう」「いいね」「またキャッチアップしようぜ」というやり取りで、自分のプレゼンスを維持するプロセスだけが残りました。

ただ、仕事に慣れて行くだけです。

慣れることで、生産性が高まる一方で、体験が失われて行くのです。

とすると、異動や転職とは生産性を体験に取り替えることだとも言えます。

生産性もいいけどやっぱり、体験が欲しいですよね。社会に出るなら。

写真は杭州の西湖に浮かぶカモです。音の無い世界でした。

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