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小さいおじさん〜その7〜



真夏のドライブ


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この日、僕らは大好きな曲を流しながら2時間半をかけて目的地まで車を走らせていた。

僕らの好きな曲といえばケツメイシやデフテックだ。

真っすぐな歌詞とハートフルなメロディーがたまらなく、いつだって前向きにさせてくれる。

車内でノリノリになって向かっていたのは、三重県伊勢市にある"伊勢神宮"だった。

全国的にもとても有名な場所だ。

あの頃、時間があれば僕らはよくお寺や神社にいっていた。
今となっては、帰り道に見つけた神社などに無意識にすっと入ってしまうレベルで好きな場所。



凛とした空気、大きな木々、澄んだ川、お線香の匂い、お経の音。

何もかもがとても好きで心地よい。

今でさえそんな場所になったけれど、昔はそんな事はなく、どちらかといえば行こうとも思わない場所だった。




ひいじいちゃんとの思い出

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小さい頃、僕はいつも仏間に布団を敷いて寝ていた。

畳やお線香の匂いが落ち着き、好きで物心がついた時には仏壇の真ん前に布団を引いて寝ていた。

おじいちゃんやおばあちゃんっ子だった事もあり、小さいうちからよくついて周り、お寺やお墓参りでみんながお経をあげる横で座っていた。

少し大きくなってからも、仏壇は僕の落ち着く場所。



サッカーの試合や学校のテスト、運動会や学芸会、少林寺拳法の試合、旅行。
なにかと自分の中でイベントがあるたびに、朝家を出る前には手を合わせてお願いしていた。


"どうか優勝できますように"
"どうかいい点が取れますように"
"どうか安全に行けますように"

自分の期待していること、欲している結果をお願いしていくと何故だかいつも気持ちが安心できた。

とはいえ、いつも結果がいいなんて事はない。
むしろ8割くらいはガッカリする結果だった。


そんな時でも、家に帰るなり仏壇の前に座り、

"次こそは!力を貸してください!助けてください!"

なんて抱負を伝えるどころか、お願いをしていたものだ。(笑)

そして、隣ではいつもひいじいちゃんたちが家族が健康であるように、今日も1日ありがとうございますと手を合わせていた。

そんな経緯もあり、僕は神社やお寺がとても好きだった。

いつでもあの独特なゆったり流れる時間と凛とした空気が最高に気持ちよかった。




三重県生まれの小さいおじさん

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大きくなり、年に一度、家族と初詣に行くくらいだったお寺も、小さいおじさんと出会ってからは頻繁に行くようになった。

なんかの宗教か?って思うくらい、お礼言いに行こか?って連れてかれていた。




この日、伊勢神宮に向かう少し前に、僕はとても楽しみにしていた仕事がなくなってしまって正直落ち込んでいた。
というか、イライラして数日過ごしていた。

やりたいなと思っていたちょっと大きな仕事が、やっぱりやめましょうとなったのだ。
もう僕はすごく期待していたから本当に落ち込んだ。

"これがうまくいけばこんなことが出来て、
こうなっていったら、あんなことも出来る!
よっしゃ!!!"

と気分高らかだった。

それがつい数日前、よく考えたんだがこれをやるにはタイミングが今じゃないと思う。しっかりコツコツやって力をつけて、そこを目指していこうと言われ楽しみが一気に無くなった。

たしかに言われてみたら分かるのだが、ぼかはコツコツが苦手だ。
どちらかと言ったら一本釣りで大物を狙ってくほうがワクワクするし、自分にあっていた。



その日も家へ帰るなり仏壇の前に座っていた。

"こんな事があったんです。なんとか出来るように力を貸してください。これをしたいです。お願いします!"

と手を合わせておもいっきりお願いをしていた。

そして数日後の今日、僕は小さいおじさんと、仲間たちと伊勢神宮に向かっていた。

車を駐車場に置いて歩いて向かう。


最初の鳥居をくぐり、橋を渡っていると、もうそこの空気が心地よく、背筋がピンなってしまうくらい凛とした空気に包まれている。

広い敷地の中にはいろんな神様が祀ってある。その全ての場所がなんだか神聖に感じで手を合わせて回っていた。


2時間くらいだろうか?
僕らはぐるっと一通りお参りし終わった。

そして来た道をもどり、おかげ横丁という通りでお昼ご飯を食べることにした。

手毬寿司という伊勢名物のお店に入った。



小さいおじさん「ほんま空気ええよな〜。何回来てもすきやわ。伊勢神宮。」

実はこの小さいおじさんの生まれは三重県だった。近いこともあり昔からよく通っていたようだ。



小さいおじさん「橋渡ってる時、まわって歩いてる時、手を合わせてる時、なんか感じたか??」


僕ら一同の答えはこうだった。


ぼく「なんていうか、この澄んだ空気が気持ちが良かったです。また来たいなって思います。」


ズズズズズ。。
梅茶を飲む小さいおじさん。



小さいおじさん「そうやんな。ほんまにココは別格の空気よな。また来たいって思うわな。俺ら、来ようと思ったらいつでも来れるもんな。そりゃそう思うわ。

あんな、俺らは今の時代に生化させてもらってるからこうやって好きな時にこれてんねん。昔の人な、ここに来るのに命かけてたんやで。


江戸時代とかさ、車もない時代、東京から来ようと思ったらどうや?えげつない道のりやで。馬持ってる人ならまだマシやけど、大抵の人は歩いて伊勢神宮を目指して来ててん。お伊勢さん行くんや言ってな。

“一生に一回行けたら幸せ”って言って来てた人もおるくらいやねんで。

それ以前に、ココを作った人たちがいんねんで。人のためにって思いを込めて人生ココを作ることに捧げた人やっておる。

すごない?というか、俺ら本当に恵まれてない?」




たしかに。。
そんな事、考えたこともなかった。

作った人のこと、昔の人がここまで歩いて来ていたこと。

車や電車、飛行機が当たり前に近くにありすぎて考えもしたことがないリアルだった。



小さいおじさん「手を合わせて、神様に何を伝えたん??」



ふとそんな質問をされた。

僕らはみんな"お願い"をした事を伝えた。

今年はいくら稼げますように。
仕事がうまく生きますように。
毎日笑って過ごせますように。

そんな感じで僕らはお願い事をしてきた。




小さいおじさん「お前ら。。。ほんまに可愛いやつだな(笑)いきなり来たはじめてのやつに、すいません僕の夢は〇〇なんで叶えてください!力貸してください!言われたら自分どう?正直、え??ってならへん?

そもそも、昔の人はみんななんでココに来てたと思う?


感謝やねん。


1年の終わりに、1年の始まりに、それぞれの節目にそれぞれが、無事に今年も終わりましたありがとうございます。また来年も精進してこの場にご報告に来られるようにさせていただきます。

みんながみんなそうやなくても、そうやってみんな神社やお寺さんに感謝を伝えに言っててん。


大事なのは未来のお願いやなくて、
過去から今を見たときにある事実に感謝してるってことやねん。


色々嫌なことがあった、でもこうしてここに手を合わせに来れてる健康な体、時間、お金がある。それが本当に有り難くて幸せやからみんな感謝できててん。

爺ちゃん婆ちゃんなんてすごいで。
俺ら孫の顔を見ただけで笑顔で"長生きして良かった、ありがとう"って言えんねんで?

俺らが教科書の中でしかしらん戦争や、貧しい時代を生き抜いてきた人が、

"色々あったけど生きてきてよかった、ありがとう。"そう言える。

ここに全部大事なことが詰まってんねん。

みんな、感謝したか?
それともなりたい自分、手にしたいものを伝えただけか?」




お昼ご飯、僕らは手まり寿司を食べる前になんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。

そして僕は、おじいちゃんとおばあちゃんの事を考えていた。



父親との別れと父親代行をしてくれた祖父

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僕は小学生の頃、気づいたら父親がいなく母子家庭で育っていた。

ある朝起きると、今日からうちにお父さんはいませんと母親に伝えられてからもう20年以上になる。
僕といえば男3人兄弟の長男。長男のくせに気もそんな強くなく、いつも安心するおばあちゃんのそばにいた。


小さい頃、おばあちゃんが寝る前に話してくれていた童話の昔話。
おばあちゃんが習っていたカラオケの歌。
今でも口に出して言えるくらい記憶に残っている。


おじいちゃんもそう。
今でさえニコニコしているが、昔はいつも怒っていて何か悪さをすると小屋に閉じ込められ当時はほんとに恐怖でしかなかった。(笑)

でもおじいちゃんなりに、父親がいないから俺が頑張らねば!という使命感と責任感があったのだろう。

そんなおじいちゃん、おばあちゃんはよく戦争の話をしてくれた。


“ここはな、昔は戦闘機の離着陸するための空港だったんだ。”
”ここでな、戦争に行く人のための服を作っていた。“
“服を作ってた友達が殺されてな。”

そんな風に、よく出かけるたびに外を見ながら話してくれた。

だからなのか、おじいちゃんもおばあちゃんもよくお墓まいりやお寺、仏壇に毎日手を合わせていたのかもしれない。

今になってはっきりと思い出したことがある。

それは必ずお経を唱えた後に、ゆっくりと深呼吸をして"有り難うございます"と何回か言っていた。

小さいおじさんの話を聞いた時、その意味がなんとなくわかった気がした。




小さいおじさん「みんなな、色々と欲しすぎやねん。てか期待しすぎやねん。

あっ勘違いせんといてな?
自分に期待することはええ事やねんで?

ただ、人や神さま、仏様にに自分の未来を期待をしないってことやねん。

こうなれますように。
ああなれますように。
守ってください。
助けてください。

もちろんええねんで。
人それぞれのお願い事があるからな。


ただな、忘れちゃいけない事実として、
俺らはいろんなことがあっても今日ここに生きた状態で来れてるということ。
そして、たくさんの命を受け継いで生かされているということ。

これ忘れたらあかんでほんまに。

宗教の話ちゃうからな。
人としての話や。

いろんなことがあったけどそれでも、今日も命が続いていてここに来れたこと、しっかり有り難うと伝えたか?

ここに来るために、自分の乗っている車を知らない誰かが作り、道路を作り、こうやって命の危険が限りなく来れるようにしてくれていること、そのどこも誰かわからない人に感謝できてたか?


感謝やねん。
ほんまに全ては感謝からやねん。


感謝するといろんなことが見えてくる。
いろんなことの有り難みを知ったり、これをやったらもっといいのになってアイデアも生まれる。

感謝が全ての始まりやねん。
感謝が終わりちゃうで。

感謝は止めるもんやなくて、ずっとずっと回さなあかんもんやねん。

それ無くしてお前らみたいにお願いしたらどう?

今年はこのくらい稼げますように。
仕事がうまくいきますように。
毎日笑って過ごせますように。

自分ごとのプレゼンやん?お願い事やん?


俺はな、本当に大事なプレゼンは仕事場でのプレゼンやなくて、
お寺や神社、ご先祖さんのお墓前での神さまや仏様、ご先祖さんの前でのプレゼンやと思っとる。

僕は人のためにこんなことをやろうと思ってる。こんな幸せや豊かさを届けたい。なので成し遂げられるよう見守ってください。そう思える自分になりました、ありがとうございます。

今年は家族でこんなことがしたい。皆さんから頂いた命をしっかり大切にし、生きている間に家族で素敵な思い出をたくさん作りたい。なので頑張ろうと思います。ステキな家族に出会わせてくださりありがとうございます。


おんなじお願いでもちょっと変わるやろ??

手にしたい物は同じでも伝え方がちょっと違うだけやねん。
みんな何だかんだその結果が欲しいわけやん?

そしたら、自分もみんなも幸せになってるんやろ?
やったら必ず力を貸してくれるねん。

そんなプレゼンをして、自分が絶対に諦めんと努力して、人に謙虚に感謝して生きてると神様からのプレゼントが結果としてもらえんねん。

言葉の中に答えはもうあるって知ってる?プレゼンってプレゼンテーションの略やろ?

Presentation。

こん中にあるやろ?

Present(プレゼント)って言葉。

人のため、家族のため、社会のため、そしてもちろん自分のために伝えたプレゼンはしっかり受け取れるようになってんねん。


最大のfor you は最高のfor meになる。

みんな焦りすぎ。
余裕なさすぎ。

そもそもみんな、ありえへんくらいの命の繋がりの中で産まれて来てるわけやから守ってもらってるんやで。

だからこそ、しっかり手を合わせなあかんで。」




僕らは泣いた。

お茶を足しに持ってきたおばちゃんも、

どうしたの?!って声をかけてくれるくらいみんな涙していた。


手を合わせるという文化が僕らの日本にはある。

ご飯を食べる時、食べ終わった時。
お墓の前で、仏壇の前で。

誰もが馴染みのある場面だと思う。

当たり前になりすぎて、それが作業になっていたのかもしれない。

有ることが難しい。有り難う。
その気持ちを自然に思い出させてくれるステキな時間ってこんなにも日常の中にあったんだ。


手を合わせる。

つづく、、、

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