蛙化現象の原因と発生への一考察

ここに書き散らすのは、夜に考え事をしていて、はっと思いついたことで、レポートではない。そして私には、恋愛経験が乏しいので共感的実践的というよりはかなり理論的な話だと思う。しかも本の紹介という要素が強い気がするし、殴り書きなのであまり主張がまとまっていない気がする…。


はじめに

通俗的な理解だと、蛙化現象とは、好意のある相手が自分に対して好意を示したときに、冷めてしまう現象のことをいう、はずだ。自分の好きな人が自分に好意があると知れば、カエルになってしまうというわけだ🐸。関節的に聞いたところによるとインターネットでこの言葉がもてはやされ、少し曲解された意味で使われていたのだという。すなわち、自分の好きな人に冷める瞬間、例えばメニューをフルで店員さんに伝える、などが共感の嵐?を生んだ。一応私は、このように理解している。では、この現象の原因と発生はどこにあるのか?この問題に取り組みたいと思う。(注意して欲しいのは、蛙化ではなく、蛙化“現象”だ)

理論的基盤


今回、基盤とする理論は二村ヒトシの『恋とセックスで幸せになる秘密』だ。
私はこの本を他の本から知り、たまたまBookoffにあるのを見て買ったのがきっかけなのだが。タイトルに反して、そこらへんの自己啓発よりも内容が濃いのでおすすめ。Amazonのレビューだけでもいてほしい。私は、決して、恋愛に対する興味があるわけではないし、ざっくりと読んで人にあげてしまったので、少し曲解してるかもしれないが、雰囲気だけ掴んで欲しい。
さて、この本は、恋愛がうまくいかない女性に向けて書かれている。恋愛がうまくいかない女性とは、どのような女性か?端的に言えば、自分のことが嫌いであると同時に自分のことが大好きな女性だ。自分のことが嫌いで鏡すら見たくない。けれども頑固で自分の意思を曲げないところがある。そんな一見矛盾するような態度をとってしまう、そんなひとだ。自分のことが嫌いな人間は、当然、自分のことを嫌ってくれる人を好きになってしまう。ここがジレンマだ。その気持ちが成就しようとも、相手は自分のことが好きではないのでうまくいかない。逆に好きな人が自分のことが好きになってしまえば、自分のことが嫌いな自分は、好きではなくなってしまうのだ。とりあえず、議論に必要な前提は揃った。ここから幸せになる方法は、本書を手に取ってもらうしかない。

蛙化現象の原因


先の説明は、すでに蛙化を説明している。すなわち蛙化とは、自分自身との折り合いとして成立しないこと、自分のことが嫌いだから自分に対して好意をもっていない人を好きになることに由来する。もっと簡単に言えば、蛙化を引き起こす女性は、「好きな人」の条件が「自分のことが好きでない」なので、自分に対して好意を示すということは、その条件から外れることなのである。だからこそ、条件が外れるからこそ、相手は蛙になってしまうのである。したがって、蛙化現象の原因は、相手ではなく自分のことが嫌いという態度にある。したがって、仕草や態度が根本的な問題なのではない。これがとりあえずの結論である。では、なぜこれが現象として席巻したのか。あまり重要ではない、注文の仕方や仕草などが取り立たされているのか。これを考えてみたい。

蛙化現象の発生


いわゆる蛙化現象で取り扱われるのは、自分自身ではなく、もっぱら相手、もっと言えば冷めてしまう瞬間である。要約すると蛙化の原因を自分自身以外に見出していることだ。そして、重要なことに蛙化を引き起こしてしまう感性を主題化せずに共感として処理して、あえて内面的な問題を見過ごすようにしている点だ。私は、蛙化現象を他責思考だと非難しているのではない。この現象が、この時代の一つの傾向として捉えられるのではないかと思う。つまり、自分自身に対する折り合いがつけられない人々が多いのではないかと思う。幸せな人、自分に折り合いがつけられる人。物を消費して満足はするが決して幸せになれない人との差は、そういう点ではないだろうか。ここからどのように幸せになるのか、具体的なことは先に勧めた本を読んでもらうこととして、幸せになれない人、こうした人々の共感が蛙化という言葉で表現されてきたのだろう。そしてこのような問題は、おそらくどの時代にも共通するように思われる。自分と向き合うことができないという、人々の態度の表れが蛙化として表出してきた。その中で、冷めるという言葉で、自分と向き合うことをさらに避けるようになってくるのではないだろうか。容易に人と繋がれる時代で、自分と向き合うことのできない困難さをもって蛙化現象は、発生したと考えられる。

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