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ちいさな、ちいさな、みじかいお話。

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【雨と物語】雨と嫌いと嫌いと、好き Part1

【雨と物語】雨と嫌いと嫌いと、好き Part1

 雨は結構嫌いな方。だって濡れるじゃない。それに、鬱陶しいじゃない。……なんて理由を並べてみるけれど、結局は雨のその匂いを嗅ぎ、静かな雨音に耳を傾けていたりするから、私は私という人間を全然分かってない。自分のことを分かるとか分からないとかどうだっていいのだけど、この”空から降ってくる雨”に関しては、どうしても素直になれない、というか、好きなようでいて嫌い、嫌いなようでいて実は好き。……みたいな。

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短編小説 -芳醇な血- Part2

短編小説 -芳醇な血- Part2

私はその予報の前日にスーパーマーケットで赤ワインを買った。四千円と、そのスーパーマーケットで並ぶワインの中では高い物で、別に私はワイン通でもなんでもないから、それこそ何でもよかったのだけれど、予報で「数年ぶりの大雪」と言った、天気予報士の言葉を思い浮かべていると、自然と少しだけ割高なワインに手が伸びたのだった。

家に帰り、ワインを置いた。シャワーを浴び、外の方へ目を向けてみてもまだ雪は降っていな

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短編小説 -芳醇な血- Part1

短編小説 -芳醇な血- Part1

 雪を見ると無性に赤ワインが飲みたくなるのは、私にとって随分と昔からの癖というか、生活そのもののようなもので。

赤ワインなんて普段滅多に口にしないのに、そういう時ばかりは、その深紅の色に完全に心を持っていかれちゃったりするのは、とても不思議な感覚だったりもする。

 大雪になるという予報を一週間前に見た。
東京にいる私にとって、雪はそれこそ珍しいという事もないけど、それでも少し心が浮き立ったりす

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長編小説『because』 最終回

長編小説『because』 最終回

「あー……」
自分でも驚くくらいの低い声が口から零れ、私は背にしていた家のドアを眺めた。まだ、この向こう側に彼はいるだろうか。ドアを閉めてから数分は経ってるから、もういないかもしれない。もう下へ降りてしまったかもしれない。
「うん、いない、いないんだ。きっと」
そう考えながら、私はドアを外向きに開けた。彼はいない。通路を挟んで私の住んでいる街の点々と光る明かりが見えるだけだった。
「ほらね」
私は

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長編小説『because』 89

長編小説『because』 89

 バタンと音をたてて閉めたドアの向こう側に彼の温度をじんわりと感じていた。「あなたが」と言ったその後の彼の言葉はそのドアの音に掻き消されてしまったけど、その先の言葉は聞く必要もなく、容易に予想のできる事だった。

 好き。彼はきっとそう言ったのだろう。しかし、彼は私の何を見て好きになったのだろうか。彼はいつどこで私を見つけたのだろうか。

 結果、彼が私の事をなぜか好きになり、今こうして家まで押し

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長編小説『because』 88

長編小説『because』 88

「あのな、結局誰もいなかったんだよ」
でんぱちは、ここまでの経緯を美知に話し
「……そうなんですか」
と、美知は答えた。露骨に私の悲しみを少しでも背負おうとしているその様は嫌みではなく、私は純粋に彼女の優しさだと受け止めている。
 どこにでもあるような店内の広いレストランで、誰一人としてお腹を空かせていなかった三人は、アイスコーヒーとウーロン茶とチャイだけを頼み、店員の少しきつめな視線を無視する事

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長編小説『because』 87

長編小説『because』 87

「その人は誰ですか?」
彼女自身の存在は、人ごみに埋もれてしまう程に弱いのに、その感情のない目だけは随分とはっきり見えた。
「ああ……」
と言ってごまかそうとしている自分に気付いた後に、私はこの人が本当にどこの誰かなんて知らなかった事にも気付いた。たまたま定食屋で会った、きっとこの辺りに住む中年の男性であるのであろうという、それこそ憶測に過ぎない訳で、この人の事なんて私は何も知らない。
「でんぱち

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長編小説『because』 86

長編小説『because』 86

諸々の事情がどうであれ、私は何に分かったのかも分かっていないまま「分かったわよ」と言って美知の自信を取り戻そうと努めている。それはほとんど無意識的というか、一連の流れのように感じられる。
「はい」
と少しだけ自信を取り戻した美知の声が携帯から聞こえる。この声も何度も聞いた。これを聞くと、全てが美知の思い通りに進んでいて、私が彼女を勇気付けているのではなく、最初から彼女に操られているのではないかと思

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長編小説『because』 85

長編小説『because』 85

「いや……」
今の間はそんなつもりじゃなかったのだと美知に言ってあげればいいのに、不思議とその言葉が私の口から出てくる事はなく、「いや……」と言った後、また静かな間が生まれてしまった。きっと、美知は自分が聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと不安になっているに違いない。そこまで分かっているのにも関わらず、会話を次に進めれば、いずれ会話は終わり、やっと少し穏やかになった心が、また暴れだすのではない

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長編小説『because』 80

長編小説『because』 80

素直に嬉しかった。たとえそれが彼から出た嘘の言葉だったとしても、私はその言葉を純粋に喜ぶ事ができた。その時はそれでよかったんだ。それに彼がそう言った言葉は嘘なんかじゃなくて、本心だった事も後になって私は知る事ができた。私に笑っていて欲しいのではなくて、私は笑っていればよかったのだ。彼はそれ以上の事を私に求めていなかったし、求めようとする気持ちもない。それは酷く冷たいあしらい方だった事に、この時は気

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長編小説『becase』 32

長編小説『becase』 32

 今はただ一つ、紺色をした湯呑みだけが逆さにして立っている。

「おねえちゃん!」

賑やかな商店街に声が響いた。おねえちゃんなんて誰を指しているのか分からない言葉のはずなのに、私はそれが自分の事を呼んでいる声だという事がすぐに分かる。さっきまで聞いていた嗄れ声、さっきまで言われていたおねえちゃんという言葉のせいで。

 後ろを振り向くとでんぱちが私の方に向かって駆けてきた。まだ私から三十メートル

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長編小説『becase』 31

長編小説『becase』 31

私はそんな事分かっているくせにまた彼に抗議する。結局いつも私の思っている通り、彼が私の意見に賛成する事なんてないし、抗議する事自体に喜びを感じている訳でもないけど、それでも、一応は言ってみるのだ。
 こうなってくると、私が本当に欲しいのはもっと可愛いティーカップなのか、紺色と薄い緑色をした湯呑みなのか、はたまた彼の私を諭すような言葉なのか、もうどれも欲しいようで、どれも欲しくなんてない気がしてくる

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長編小説『becase』 30

長編小説『becase』 30

 それから一年後のまた同じ季節がやってきた頃に彼は「これ買おう」と湯呑みを指差して言った。彼の指の指す先には紺色と薄い緑色をした、大きさの同じ湯呑みが二つ並んでいる。

「え?これ?もっと可愛いやつにしようよ。こんなに渋いのじゃなくてさ」
私がそう言った所で彼がそんな言葉耳に入れないであろう事くらい分かっていたけど、それでも一応私は言葉にしてみる。いつもそうだ。その先の未来が分かっていようとも私は

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長編小説『becase』 29

長編小説『becase』 29

私は別に彼の家に住んでいる訳じゃない。私にもちゃんと帰る家があったし、いわゆる半同棲という状態でもなかった。二人の休みの合った日、お昼過ぎに彼の家に訪れ、夜は帰った。

 もちろん、たまに泊まって行く事もあったけど、そんな頻繁な事ではない。それに彼の家に置いているものといえば、上下グレー色のスウェットくらいで、他の物は歯ブラシ一本だって置いていったりしなかった。彼がそういう事を嫌がった訳ではないし

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