_直感_文学ヘッダー

「直感」文学 *しきたり*

「とりあえずビール!」
と、遠方の団体客から懐かしい響きが聞こえた。そうそう、私がまだ若くして働いていた頃には、居酒屋で飲む最初の一杯は言わずもがなビールだった。
 もちろんそんな制度も法律もない。だけどそれは暗黙の了解の中にあり、誰一人としてそれを疑おうともしなかった。……でもね、たまにそれを疑う人だって稀にはいてね、ただそんな人は白い目で見られたりもしていた。

 今となってはそんな〝制度〟は完全に消え失せてしまった。
 私の向かいに座る美恵子だって、甘ったるカクテルを最初から頼み、何度か追加で注文しているはずなのに、私はまだ一度もビールを見ていない。
「ビールだって、今でもそういう子いるんだね~」
どうやら美恵子も同じことを思っていたみたい。それは既に懐かしい情事となり、今はもうどこの居酒屋にも存在していなかった。それを表すように、昔はメニューにでかでかと写っていたビールは、ドリンクメニューの端の方まで追いやられてしまっていた。
「遅いよって、思うわ」
「遅い?何が?」
美恵子は疑問符を浮かべ、私に聞いてきた。
「だってね、私ビール飲めないんだもん」
そう言うと「あはは、私も」と美恵子も同調した。
 無慈悲に決められた、そんなあってもなくてもいいような〝しきたり〟は、いずれ消えてなくなってしまうのだと、今更ながらに思うのだった。

***アマゾンkIndle unlimitedなら読み放題!***
読み放題はこちらのページ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?