落としたのはある風景の中で

『短編連載』そのソファ 第5回/全10回

「でもそのソファは割れないんです。なぜだかは私にも分かりません。……でももうずっと昔のものなのに、ずっと割れないで奇麗なままなんですよ」
「へえー」
カナはそう言いながら、そのソファをじっくりと見ながら、たまに手を触れたりする。僕はと言うと、カナとその女性が話す言葉を端に聞きながら他の家具をほとんど意識もなくただダラダラと眺めていただけだった。
「これいくらなんですか?」
「えっと、それはですね……」
女性は何か大きな本を開いて、老眼鏡を掛けた。その本の紙に指を滑らせながら何かを調べているようだ。
「そのソファは十万円です」
「十万円!?……そうですか」
それからカナは少しの間黙った。僕はその間もやっぱり何も言わなかった。きっとカナはこのソファが欲しいのだ。それはいくらなんでも僕にだって分かる。だけれど、十万円という値段も現実的ではなかったし、なにより今日僕たちはダイニングテーブルを買いに来ているのだ。ソファもうちにはなかったけれど、そんな大きな物を置くスペースだってない。だから僕は静かにカナを眺めていたのだ。「行きましょ」と僕に声を掛けて、安価な商品が並ぶ家具屋に行くだろう、僕はそう思っていた。

※短編集『落としたのはある風景の中で』より
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