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長編小説『becase』 10

 以前、会社の忘年会が行われた時、私は美知の隣でお酒を飲んでいた。上司に適当にお酒を注ぎながら、ただ気持ちばかりが疲れて、通常の業務以上の仕事だと毎回思ってしまう。後輩にあたる美知なんかは私よりも疲れる事だろう。単純に私より先輩の人数が多いし、隣に座るこの私だって、きっと美知を疲れさせる原因なのだろうから。
「疲れますね」
突然そう言った美知の言葉に、私のお酒を飲む手が止まってしまった。美知はいつだって冷静な表情のまま仕事に関わっていたし、今日これだけ皆が砕けている場でさえ、美知は会社で仕事をしている時と全く変わらない顔をしている。もちろん、仕事中に「疲れる」だなんて言葉を聞いた事などなかった。私が知らないだけで、きっとこの子も大変だろうなという思いはあったけど、それさえも私の気のせいなのかと思ってしまうくらい、美知の感情表現は分かりづらい。ただ本当に疲れてなどいないのかもしれないけど。だから、美知がそんな場で、そんな事を急に言い出すもんだから、私は手に持ったグラスを動かせないまま、ただ前を無表情で見続ける美知の横顔をまじまじと見ていた。
「え?」
「あ……いえ」
ただそれだけのやり取りで、しかもその一連の流れの中で美知は表情一つ変えないまま、テーブルの上で小さなグラスを両手で包み込んでいるだけだったけど、私はそこに美知の本性……本性と言う程そんなに大それたものではないかもしれない、とにかく美知の本心を見た気がして、少し嬉しくなったのだ。
「頑張ろうよ」
私はそう言って、美知の手に包み込まれているグラスに私のグラスを重ねた。カチンという音が私と美知だけに聞こえるくらいの音でなって、私は自分のグラスに入っていたお酒を一口に飲み干した。それに続いて美知も飲み干した。……と思う。

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