僕らには何ができるのだろうか。

今までの社会は
子どもを親に押し付けすぎた。

子どもは親だけで育てるんじゃない。

近所のおじちゃんおばちゃん
隣の家のお兄ちゃんお姉ちゃん
学校や学童、塾の先生
学校だけでなく
地域の中にある様々なコミュニティにいる
年齢、性別、出身、職業
全てが異なる、多種多様な人々。

そんな大勢の人に支えられて
ひとりの子どもは育っていく。

周りは「育てよう」と思わなくていい。

子どもはひとりで育っていくから。
彼らには本来「生きる力」が備わっているから。

そのために必要な
土や栄養、光を整えるのが大人の役目。

そしてそれは家族だけでは整えきれない。

全ての人の力が必要だ。

日々子どもたちのSOSをたくさん聴く。
お母さんやお父さんからもたくさん声が届く。


僕らには何ができるのだろうか。


僕の一つの答えは

悩んでいる人々をひとりにしないこと。

誰かが悩んでいたら
となりで一緒に悩むこと。

「うんうん」と聴くこと。
「がんばってたんだね」と認めること。
「あなたはあなたのままでいいんだよ」と愛を伝えること。

そんな関わりが、人を孤独から解放する。

人はそもそも孤独だ。
100%理解しあうことなんて不可能だから。

でも
「孤独なんだ」
「さびしいんだ」
「悩んでいるんだ」
そんな気持ちを言葉にして
人に伝えることはできる。

孤独であること自体は変わらない。
でも孤独であることを共有することはできる。

それができれば
人はまた歩み始めることができる。

歩み続けることがすべてではない。

歩みを止め、しゃがみこみ
地面を眺めていることだって人生には必要だ。

立ち尽くし、ため息をつきながら
空を眺めることだって人生には必要だ。

でもそこから一歩踏み出すためには
誰かが必要だったりする。

ひとりだと難しいことも
もうひとりがいることで
となりにいるだけで
とてつもない勇気と希望が湧き
一歩踏み出そうと思えたりする。

そのとなりにいる人が増えたり
となりのとなりにまた人がいたり
そんなつながりが
人を生命をつなぐのだと思う。

人は本来持っている。

「生きる力」を。

でもそれが時々薄れることがある。
見えなくなることがある。
ぼわっと消えそうになることがある。

そんな時に、たくさんの人の支えが
またその人の「生きる力」を引き出す。

僕らには何ができるのだろうか。

僕は人をひとりにしない。

ひとりはつらいから。
真っ暗闇の中にひとりは苦しいから。
もがいてももがいても
先が見えなくて、こわくて、不安で。

どんなに叫んでも届かない声。
どんなに伸ばしても届かない手。

そんな思いはもうしてほしくない。

子ども達には
「生まれてきて良かった」
と思える人生と出会ってほしい。

そしてその体験を
誰かにまた届けてほしい。

僕らには何ができるのだろうか。

今までの社会は
子どもを親に押し付けすぎたし

この社会に起きる様々な課題を
誰かひとりに押し付けすぎた。

全てはつながっている。
僕らも影響を与えている。
僕らもこの社会の一員である。

どこにいるかじゃない。
誰と出会っているかじゃない。
年齢、性別、職業も関係ない。

生きている限り、僕らはこの社会の構成員だ。
一人ひとりの言動が、この社会をつくっていく。

一人ひとりの想いが
この社会の空気を変えていく。

「自己責任」という言葉が
この社会には存在する。

たしかに責任はゼロじゃないかもしれない。
でもそれを当事者であるその「自分」である
「一人」に背負わせるのは、あまりにも重たい。

重たすぎる。

生きるというのは簡単なことではない。
その中で起きる問題を
すべてそのひとりのせいにしてしまうのは
おかしなことだと僕は思う。
無理難題だと僕は思う。

いや「僕は思う」ではない。
はっきりと言う。絶対におかしい。

生きている限り、人はどこかで影響し合っている。

何かが起きることは、誰かひとりのせいではなく
全ての人が影響して、起きているのだ。

僕らには何ができるのだろうか。

今回あった、男性が子ども達を傷つけた事件もそうだ。

彼が全面的に悪いのか。
彼だけが加害者なのか。

思った。

彼は何を思い、この行動にうつったのだろうか。
子ども達を傷つけたくて傷つけたのだろうか。
社会に恐怖を与えたくて、したのだろうか。
彼はどんな人生を歩んできたのだろうか。
彼には安心できる居場所があったのだろうか。
彼には悩みを打ち明けられる誰かはいたのだろうか。
彼と真剣に向き合い、支えてくれる友達はいたのだろうか。
彼は子どもの頃、どういう環境で育ってきたのだろうか。

この世からいなくなってしまった以上
もう何もわからない。

でもわからないからと言って
全てをなかったことにはできないし
彼を悪者にして終わらせることもしたくない。

加害者も被害者である。

彼が起こした今回の事件。
彼のSOSを拾えなかった
今の社会に問題があるのだと思う。

そこを考え、変えていかない限り
このような事件はまた起こる。

必要なのは、誰かのせいにすることじゃない。
誰かのせいにすることは簡単だ。
誰かのせいにすることで逃げることができる。
(ただ当事者または当事者に近い方は
今は逃げるときだと思う。
つかれた心を癒すときだと思う。
ゆっくりゆっくり休んでほしい。)

考えるんだ。

僕らには何ができるのだろうか。

そしてその先に見えた何かを
手を取り合って、一緒につかみに行く。

僕らは今この時代に生きる仲間なのだから。
争わなくていいじゃないか。
闘わなくていいじゃないか。
傷つけあわなくていいじゃないか。

もういいんだ、そんなことは。

僕らは仲間だ。

考えよう、一緒に。

僕らには何ができるのだろうか。

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