伊藤悠平(nutte社長)

縫製職人のマッチングサービス【nutte】を運営する株式会社ステイト・オブ・マインドの…

伊藤悠平(nutte社長)

縫製職人のマッチングサービス【nutte】を運営する株式会社ステイト・オブ・マインドの社長です。【nutte】https://nutte.jp |【teshioni】https://www.teshioni.com

マガジン

  • 【絶望の縮図】シリーズ

    【nutte】を立ち上げてからの航海日誌。

  • 【敗北の味】シリーズ

    nutteを立ち上げるに至る経緯を、伊藤悠平(nutte社長)の半生とともにお話しできたらと思います。

最近の記事

ブランドが終わっても、人生は続く。

年末が近づくと、M-1が待ち遠しくなる。 特段、お笑い好きというわけではない。どちらかというと、そんなに観ない。YouTubeのホーム画面にお笑い芸人の動画が表示されることもなければ、テレビのバラエティ番組を観ることもあまりない。 そんなわたしにも、M-1は待ち遠しい。 若手芸人の戦場。 人の人生をたった一晩で激変させる超巨大権威。審査の重圧を背負い立ちはだかる芸人界の超重鎮。20年に渡り語り尽くされる伝説の系譜。 たった4分。その密度。 この一年の、あるいはもしか

    • デザイナーの仕事は、選択する恐怖と戦うこと。

      最近、弊社で麻雀が流行っている。 仕事終わりの帰り際に、もちろんノーレートで。初心者も経験者も混じって、ブレストしながら、軽く打つ。 会議テーブルに載せるほど煮込みきれていない事案。 思考するにあたり、その切り口から探しに行かなければならないような時は、卓上に載せるに限る。 時に別の観点を、時にドラの受け入れを探しながら、ダラダラくっちゃべっているうちに、気がつくと思考の対象がぼんやりと、しかし立体的に浮かび上がって、おぼろげながらもその輪郭が見えてくるようなことがある

      • 服をつくるんじゃなくて、文化をつくるんだと思う。

        ある一時期、弊社ステイト・オブ・マインドでは毎週金曜日の夕方に、デザイナーブレストMTGというものを開催していた。teshioniのデザイナーと弊社の社員を集めて、自由に議論するというものだ。 どういう経緯で始まったのか、ちょっと思い出せない。付箋を使ってやるみたいな、定義どおりのブレストではなかった。 そしてなぜそうなったのか分からないが、ある時期から議論は重く、極めて抽象度の高いものになっていった。 ブランドとは何か? そのカルチャーは何か? 時代とは? 服装とは?

        • そのデザインに理由はあるのか

          ①ブランドは、デザイナーのものである。2018年 弊社はteshioniという事業を立ち上げた。 同じく弊社が運営している、nutteという縫製職人ネットワークを活用した、個人のファッションブランドの立ち上げをご支援するサービスだ。 foufouというブランドとの協業からスタートした。 それから3年、早いような、長いような。 3年のあいだに、いくつかのブランドが立ち上がった。そしていくつかは続き、いくつかは撤退していった。 あまりこのあたりのプロセスに言及しないので、よ

        ブランドが終わっても、人生は続く。

        マガジン

        • 【絶望の縮図】シリーズ
          7本
        • 【敗北の味】シリーズ
          13本

        記事

          今はまだ、何者でもないあなたと。

          たしか26の時、わたしは独立した。 大学を出て、就職して2年間働いて、 貯めたお金で1年制の服飾専門学校に入り直した。 卒業後は、専門学校の同期と 服のブランドを立ち上げようとした。 インターネットが今よりずっと貧弱だった当時、 服のブランドを立ち上げるということは、 「展示会をしてショップに卸す」と同義だ。 つまり、半シーズン分すべての デザインを考え、 パターンを引いて、 生地を発注して、 サンプルをつくり、 展示会を催してサンプルを並べて、 セレクトショップのバ

          今はまだ、何者でもないあなたと。

          「上げて落とす」スタイル 〜上げ2〜 テレビに出る

          WBSで特集された、 そのインパクトは甚大だった。 翌朝から、縫製工場をはじめ、 アパレルや百貨店、生地商社など 業界関係から問い合わせの電話やメールが 怒涛のごとく押し寄せた。 放送に合わせて募集を開始した 職人登録説明会には、 東京と大阪の会期を合わせて 数百名から応募をいただいた。 テレビの力を思い知らされた。 そして、 どういう理屈でそうなったのか分からないが、 ありがたいことに ここから当社は、 メディア露出ラッシュに見舞われる。 関西のニュース番組に始ま

          「上げて落とす」スタイル 〜上げ2〜 テレビに出る

          「上げて落とす」スタイル 〜上げ1〜

          2015年11月。 ついに最初の資金調達に成功した。 nutteのリリースから9ヶ月。 その間の事業資金は ほとんどない。 サービスの改善どころか、 食うや食わずの日々を過ごした。 わたしは会社に住んでいた。 正確には、 嫁が出て行って ひとり残された自宅を 会社にしていた。 1LDKの賃貸マンション。 リビングを執務室にして、寝室は会議室にした。 夜は折りたたみベッドを広げて、 会議室で寝た。 ベッドを折りたたんで、私物とまとめると、 私生活のすべてが、たった

          「上げて落とす」スタイル 〜上げ1〜

          人のお金

          燃料を積まずに海に出るなら、 手で漕ぐか、帆を張るより他にない。 人力、風力、潮の流れ。 自然の力学だけで荒波に臨む航海は、 高潮に飲まれ、疫病に見舞われ、 飢餓に襲われ、 いとも容易く、転覆する。 生き残るためには、 燃料を獲得しなければ。 会社において、 例えるなら資金とは、燃料である。 そしてそれをビタ一文たりとも積まずに、 当社は海に漕ぎ出した。 その当社が、 3,000万円もの資金を獲得する。 2015年11月のことだった。 2月にサービスをリリースし

          死に場所を、得た。

          うまくいかない。 ままならない。 とにかく思うように運ばない。 今までも、まさに今も。 人生が、とにかく何も、 うまくいっていたことがない。 会社勤めは、ぜんぜんできない。 個人事業も、ダメだった。 友だちと呼べる人もいない。 家族には、逃げられた。 できない。 ぜんぜんできない。 人とうまく、会話できない。 知らない人に話しかけられると、 テンパりすぎて、意味不明な動きをする。 滑舌が悪すぎて、 何を言っても二度聞きされる。 二度聞きされると、自信を失う。

          死に場所を、得た。

          誰の笑顔を見たいのか

          2015年2月 ともかくnutteは リリースされた。 nutteは 職人であったわたしが欲しいから 立ち上げたサービスだ。 あくまでも、いついかなる時も、 事業は職人のためにありたい。 縫製職人の側からは 受け入れられそうな気がしている。 実際、サービスを立ち上げる前に 縫製職人の事前登録を受け付けてみると わずか数日で、100人近くの応募があった。 おかげで、100人の職人がいる状態で サービスをリリースできた。 しかし 依頼者側に 需要があるかどうかは分から

          誰の笑顔を見たいのか

          コドモの夢をカタチにできる大人

          産業の空洞化。 そんな言い尽くされた言葉を聞いたところで 今さらすぎて、音が右耳から左耳に抜けるだけ。 サンギョーノクードウカ こんな感じで、言葉の本質には、 どうにも手が届きそうにない。 どうせたいして興味もない奴が吐き棄てる、 傍観者の言葉。 具体的な解決手段は思いつかないけど、 ベキ論くらいは言わないと、 メディアの仕事は成り立たない。 興味がないのがバレずに済むよう、 危機感だけ、余計に煽る。 うたがって聞いてないと、 当事者でさえ騙されて、傍観者にされ

          コドモの夢をカタチにできる大人

          創業メンバーはひとりもいなくなった

          2015年2月 会社を設立した。 インターネットサービスの会社だ。 創業メンバーは4人。 わたしが社長で、ほかの3名は役員だ。 その頃には わたしもさすがに ガラケーをパカパカやってる場合じゃない。 ようやくいっちょまえに スマホを買って facebookとか始めたりしていた。 AWS? Ruby? なんだそれ? そんなヤツが立ち上げる インターネットの会社。 ほんとうに、どうかしてる。 よくもみんな 力を貸してくれたものだ。 彼らには、いまも心から ほんとう

          創業メンバーはひとりもいなくなった

          旅のはじまりは、後ろ向きで漕ぎ出したボートのように

          2014年11月16日。 『TOKYO STARTUP GATEWAY』決勝。 丸ビルホールという施設で、 数百人の観覧客を迎えてのプレゼン審査だ。 ピッチコンペ。 数百人を収容する会場。 高尾山のふもとの自宅アトリエで、 黙々と生きてきたわたしには想像が及ばない、 未体験の戦場。 これから、この茫漠とした空間で、 数百人を前にしたピッチに挑む。 数百人。 噛みそうな気がする。 恐怖で下を向きそうになる。 胸焼けがする。 脇の下がぐっしょりと濡れる。 体が内側から

          旅のはじまりは、後ろ向きで漕ぎ出したボートのように

          たとえこの先、どれだけ大きな代償と引き換えになっても

          2014年9月。 『TOKYO STARTUP GATEWAY』 セミファイナリストに選ばれた。 80人から半分以上が落とされて、 34人が生き残ったようだ。 わたしの事業プランを鼻で笑った、 東大だかの学生は、もういない。 鼻で笑う気にもならない。 次の審査では、 ファイナリスト10名が選ばれる。 450人のうち10人。 狭き門だが関係ない。全員抜くと決めている。 いま34位なら、あと33人抜くだけだ。 このタイミングで、 『TOKYO〜(以下『TSG』)』か

          たとえこの先、どれだけ大きな代償と引き換えになっても

          この事業で、いちばん大切なもの

          再チャレンジするのは、 もう、何度目になるだろう。 みっともなくて、数える気にもならない。 どちらかというと、忘れたいくらいだ。 もしもリセットボタンがあったなら、 間違いなく押していた。 あの時とあの時と、あの時。 残念な人生だ。 それはともかく、 また、ふりだしに立たされた、37歳の夏。 今度こそ本当に、ゼロからの再チャレンジだ。 これから、事業プランを考える。 まず、そもそも、 何のために、この事業をやるんだろう。 ゴール設定は、何だ。 簡単だ。はじめから

          この事業で、いちばん大切なもの

          ビリからのリベンジ

          信じがたいことに、ビジネスコンテストの エントリー審査を通過した。 「400字からはじまる、 世界を変えるスタートアップコンテスト」 『TOKYO STARTUP GATEWAY』 本格的な審査はこれから始まる。 全応募者450人くらいの中から、 80人ほどに残ったらしい。 とりあえず、 足切りは免れた、ということのようだ。 『TOKYO STARTUP GATEWAY』は 単に審査をするコンテストではないらしい。 事業アイデアの精度を高めることを 重視している。

          ビリからのリベンジ