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箱庭の奈落

2015年。
しんしんと雨が降る、1月の寒い日。

嫁に捨てられた。

ミシンと仕事をぜんぶ持って
わたしを捨てて、出て行った。


衣装をつくるアトリエだったマンション。

渋谷区東。

渋谷駅から明治通りを恵比寿方面に。
並木橋の交差点を渡ると現れる、
低層の住宅街。

わたしのようなよそ者を、
迷わせてようとしているみたいに、
一方通行の細い道が入り組んでいる。


夜。
また、夜が来る。
真っ暗になる。

ひとりで、お金がなくて、やることもない。

遮蔽物に囲まれて、
まるで音がしないベランダは、
ひとりの夜は、耳鳴りがする。

タバコを吸っていると、
視界の端で何かがゆっくり動いた。

動物が、電線の上を悠然と歩いている。
ハクビシン…か?
八王子の山奥でも、みたことがない。

渋谷のイメージにそぐわない
そんな、衝撃的な光景に出くわしても、
あまりに静かなものだから、
驚いて声を上げることさえ、憚られる。

声を上げても、どうせ誰もいない。
自業自得だ。


外に出た。あてはない。

せめて、人がいそうなところに行こう。
誰か話しかけてくれたらありがたいが、
そこまでは期待しない。

ただすれ違うだけでいい。

夜道を歩く。
すれ違う人もいる。同じ向きの人もいる。

どこかへ行くのか、帰るのか、
いずれにせよ、
みんな行き先があるみたいだ。

わたしには、ない。
目的もなく、ただ歩く。


起伏の激しい道を
歩いてきたような気がする。

時に苦しい坂を登ったかも知れない。
あるいは、登る権利を与えられたのか。

どちらにしても、
さあいくぜ!という時につまづいて、
真っ逆さまに転げ落ちるような、
そんなことが多かった気がする。

そして今日も、見事に転落した。


納得感。お金。
どちらかか、あるいは両方。

そいつらにつまづくと、
あっという間に、バランスを崩される。

お金にならない仕事に、
納得感は得られない。

納得感のない仕事に、
当事者意識は持てない。


縫製は、食えない。


食えない仕事は、やらされ仕事だ。
出口の見えない、
カラ回りの日々を暮らした。

それでも耐えて、
やっと日が差してきたのに、
長年の空腹が、
わたしから自負を奪い去っていた。

食えない仕事をやらされ続けて、
地べたに打ち捨てられたエサを貪り、
這いつくばって水たまりをすするような
貧しい日々に、誇りは奪われていた。

嫁ひとり、食わせられない仕事。
こんな仕事に、どうして誇りを持てようか。

自分の仕事に誇りをなくして、
他人の結果の、嫉妬にまみれて。

つまづいて、転がり落ちた先は、
絶壁に囲われた、箱庭の奈落。

いま、あてもなく、
ただ壁伝いに歩くしかないわたしは、
何のために生きるのか。


37にもなって、
中二病みたいな答えのない悩みに、
足を取られて、立ち止まりそうになる。

もともと行くあてが、ないものだから、
歩く力が入らない。
立ち止まっても、
何かが落ちてるわけでもない。

歩くくらいしか、しょうがない。


歩いても、歩いても、たどり着かない。
当たり前だ。出口がないのだから。
歩いても、歩いても、
いつの間にか、同じ場所に戻る。

夢みた未来に、やっと着いたと思ったら、
最初から、やり直し、またやり直し。

何度ふりだしに戻るのか、
途方に暮れていた。

意味を考えてしまうと、足が止まる。
行き先のないまま、足を引きずって、
もう歩けない。

何のために歩いてきたのか。
何を目指して歩いていくのか。

これからどこに向かえばいいのか。

何の役目があるというのか。
生まれてきた役割は、わたしにはないのか。


わたしが夢みたファッションの世界は、
こんな地獄のはずじゃなかった。


しんどい。
もうしんどい。

誰からも求められずに、
歩き続けるのはしんどい。

自分で終わりにするのもしんどい。
いまここで、
誰かわたしを、終わりにしてください。


永田町。
オルガンが響く、イグナチオ教会。
歩き疲れて、跪いた。

もうかんべんしてください。
できればここで、終わりにしてください。

誰からも求められない、
捨てられたわたしの人生を、
どうかここでお返しさせてください。

できればどうかこの次には、
何かのために、わたしをお使いください。

もし、まだ終われないなら、
主よ、あなたの御手にゆだねます。
なんでもいいので、役割をください。
どうかわたしに、使命をください。


どうやら勝手に、
終わりにしてもらえなそうなので、
出家して、修道院に入ろうと思った。

残る人生の時間をすべて捧げて、
教会から与えられる役割に
生きようと思った。

何のために生きるのか。
その答えに、近づきたかった。

神と向き合い、
人と向き合い、自分と向き合い、
祈りを捧げる日々を通じて、
答えに少しでも、近づくことができたら。

このクソみたいな人生に、
納得できれば、それでいい。


しかし、わたしにその機会は来なかった。

主が憐れんでくださったのか、
途方に暮れるわたしに、
救いの御手が差し伸べられた。


わたしの人生に、
使命が与えられるのである。


(つづく)

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