育児コンテンツの夫disネタが実は父親を萎縮させているのかもしれない

昨年放映された「コウノドリ」で、「手伝うよ」と(悪気なく)言った夫が「あんたの子供だろ」と四宮先生(星野源)に怒られたシーンが喝采を浴びていたことを、今もときどき思い出します。ちょっとモヤっとした気持ちを抱えながら。

四宮先生の言ったこと、もうそれは100%正論なのだけれども、「手伝うよ」しか言えないぐらいに、意識と知識と経験のギャップを抱えたまま男たちが「父親」になってしまうという、社会構造上の問題もあると思うからです。


わたし、育児や子どもの発達支援、家族支援に関わる会社に務めており、とりわけメディア部門の編集・運営をしております。あと、最近父親になりました。

そんなわけですから、仕事柄色んなご家族のお話を聞いたり、保護者の方々に向けて情報を発信していくことが多いのですけれど、やっぱり現状は圧倒的に「母親」がメインユーザーです。

オンラインでもオフラインでも、父親の姿を見る機会は僅少です。で、お母さんたちの悩み苦しみ不安を聞くに、そりゃ大変だよなとも思うし、「世の父親、もうちょっとで良いから時間と関心を割いてくれ〜」と思うこともあります。どちらかというと、世の男性の中では比較的母親の悩みの側に近い立場にいる人間だと思います。

それでもたまに、思うのです。

世の「育児コンテンツ」、ちょっと男性(父親)に厳しすぎやしないかい?と…


夫に「手伝うよ」と言われたら「手伝うよじゃねーよボケがしばくぞ」と思う妻/母親はきっと少なくなくて、四宮先生は世の女性達の意見をある種代弁したからこそ喝采を浴びたのだろうとは思います。

たぶんそれは、今までの日本社会の数多の男たちが積み上げてきた実績に依るものなのでしょう。

無意識で悪気が無いかもしれないけれど、妻や子どもよりも自分の都合(仕事とか)優先で動いてきた夫/父親が、少なからず妻/母親を苦しめ、傷を残してきたという事実はあると思います。

その意味で、怒られるのは「手伝うよ」とか言っちゃう男性の側に責任があると言えるのかもしれません。

だけど、そうやって男性を、当事者意識の薄い父親たちを責め立てて溜飲を下げるだけでは、本当にその問題は解決しないのではないかと思います。

夫「手伝うよ」妻「手伝うよじゃねーよボケが」みたいなモードになってしまう”前”のフェーズで、そもそも何が出来たのか、という問いこそが必要だと僕は考えます。


実際に父親になってみて分かりましたが、今の日本では、夫の側は自分で相当意識と努力をしないと、外野からおずおずと「手伝うよ」と言うしかない状況に陥りやすいのです。

たとえば、妻が妊娠をしてから子どもが生まれるまで、「受動的」にでも必ず通る必須の産前イベントだけを比べてみても、

母親: 両親学級+母親学級+定期検診&リアルな身体的変化…
父親: 両親学級

と、大きく回数に差があるんですね。

母親になるための事前知識と準備、当事者意識を育む上での機会がたくさんあるのに対し、父親は、両親学級で妊婦体験とか沐浴体験とかするぐらいです。

父親の側が圧倒的にインプレッション不足、インプット不足になりやすい構造があります。

「待ってるんじゃなくて自分で情報取りに行け、そこから当事者意識を持て」と言う方もおられるかもしれませんが、産休による強制的な生活の変化を必須としない夫/父親の側は、これまで通りギリギリまで忙しく仕事をしていくなかで、プライベートな隙間時間だけを使って自ら積極的に情報摂取することは、なかなか簡単ではありません。

じゃあどうすればいいのか。

たぶんそういう時期にこそ、夫婦での「対話」を重ねることが大事だと思います。

本格的な「産前」に入る前に、自分たちがパパとママになる前に、夫と妻、まだ家族が「ふたり」だけでいる間に、とにかく色んなことを話して、ふたりの価値観の交換をしておくことです。

わが家の場合は、ツマが産休に入る前に
・夫/妻として
・父親/母親として
・ひとりの人間として

お互いが何を大事にし、お互いに何を望むのか、書き出して交換するというのをやったのですが、あれはけっこう良かったと思います。

夫に急に「父親」になることを要求するのではなく、また妻の側がたった一人で「母親」としての重責を引き受けることもなく、お互いの中に、父親と母親以外の要素もあることを当たり前の前提として認識する。その上で、新しい家族を迎えるにあたり、どうやって生活上の折り合いをつけていくのか、プライオリティを整理していく。

そこで話し合った通りのことが今100%パーフェクトに出来ているわけではないですが、子どもが生まれてからも変わらず自然と、情報・意見交換のためのコミュニケーションができていると思います(生後2ヶ月弱の今のところ、ね。油断は禁物ですが)。

「手伝うよ」というセリフは、もちろん父親としては褒められたものではありません。

でも、ちょっとズレているとはいえ、「手伝うよ」と自分から言う男性は、少なくとも「何かをしよう」という気持ちは持っているのですよね。たぶん。

ズレをズレのまま放置して叱りつけるのではなくて、その前向きな気持が、空回りせずちゃんと噛み合っていくように対話していくことは、それは夫と妻、どちらかではなく「ふたり」でしかできないことだと思います。

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鈴木悠平

文筆家/インターミディエイター® 閒-あわい-を掬って書いたり編んだりしています。 LITALICO 社長室チーフ・エディター/ウェブマガジン「アパートメント」管理人/NPO法人「soar」理事

父になって働きながら考えたこと

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コメント3件

先週のラジオドラマあ、安倍礼司でも、妻から「育児を手伝うという考え方をやめる」とお願いされたのに「手伝うよ」と言ってしまって喧嘩になるシーンがあったのを思い出しました。ふたりは話し合いをして「必要ない壁を作ってしまっていたなぁ」と仲直りしてました。
古来から、男の人は自分の子供じゃないかもしれない可能性と戦う必要がありますからねー。

「身体的変化」どころじゃないんですが、そこで終わるのがやはり男性だと思うし、それは男性のせいでなく性のせいなんですかね。

なんで私だけ。
妊娠すると一回は思いますね。

だから男性が子供大事にしてないと、自分も大事にしなくていいのかなーって思っちゃいます。
結局生まれちゃえば他人なんですよ。残るのは母親の体の、もう戻らない産道の開きと切れた骨盤底筋だけ。

こうなると私の子でもないです。

誰の子なんですかね。

という、気持ちになりました…すみません。手伝ってください。全力で。働いてください。全力で。

仕事と一緒。指示待ち部下は負担で仕事を増やすだけ。

なんか…すみません。ありがとうございます、頑張って泣!
とても考えさせられました。メディアとしては、母親の共感を得る、というのは大きな要素なのかもしれませんが、本質的な問題は?と考えた時にはやはりそれだけでは進まないように思います。溜飲を下げるだけが目的ならばまだしも、本来の目的はもっと先にあるように思いました。気づきをありがとうございます。
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