社会と「わたし」をつなぎなおすための試み、あるいは出版に向けた口上書き

昨年の12月に30歳を迎え、また同じ月にムスメが生まれた。学生の頃からほそぼそと文章を書いていた根暗な青年だったはずが、なんだかんだと書くことが「仕事」になり、今では会社で立ち上げたメディアの編集長をやったりなんかして、とにかくなんだか家庭も仕事も、いつの間にか進捗している。

30歳成人説とは本当だったのか。

得も言われぬ生きづらさ、社会とのズレを感じながらも、さしたるわかりやすいマイノリティレーベルが付与されているわけでもなく、何か一つ特定の社会問題に対する強い強い当事者性や義憤・怒りを持つほどでもなく、ただただ自分のために、小さな違和感から出発して他者との接点を探す、という風にして書いてきたように思う。特に20代前半の頃は。

20代後半から30歳にかけて、少しずつ「生きていていいのだ」という実感を持てるようになっていった。色々な土地に行き、色々な仕事をし、色々な年代・特性の人と交わり、そして共に生きる人と出会い…ぎこちない中でも少しずつ社会との接点が増えていく。世界の網の目の中に自分を定位し、他者とのちがいを前提に、かかわり合いの中でわたしという存在を確かめ、編み直していけるようになった。

伴って、わたしが書く文章も変わっていったし、またそれがいくつかの記事で、自分にとっても、インタビュイーに対しても、読み手に対しても、良いものを贈ることができたなという手応えを得ることもできた。


「出版」という言葉に対して、実現性と必然性の両方を持って向き合うことができるようになったのは、そうしたここ最近の変化を受けてのことだろう。

一方で、仕事に育児にといった日常に追われるなかで、どんどんと時間が過ぎていくことに対する切迫感も増してきている。

世界の驚くことができるだけの感性の瑞々しさと、対象とほどよい距離を保って書けるだけの節度と畏れ。この両方を持って書けるのは今このタイミングなのではないかと、根拠のない直感。

それが思い込みであろうとなんであろうと、火が消えないうちに書き切ることが必要である。


「書こうと思えばお風呂でだって書ける」と発破をかけられたり、「抱え込むと筆が重くなるタイプだから途中経過もどんどん出して人を巻き込んだ方が良い」と助言されたり、ここ数日の友人からの薦めに従って、とにかく筆は止めないようにしようとだけ決めた。まぁ要は覚悟の問題なのだろう。企画書に取材に原稿に…とやるべきことは色々あるのだが、固まるのを待たずに「過程」から先にオープンにしていこうと思う。


わたしが書く文章のアプローチをあえて説明するとすれば、個的な体験と関わり合いから出発して、社会的な事柄を覗き、理解し、個人の選択と物語の中に編み込んでいくということなのだと思う。

結論ではなく問いから、平均化された全体像ではなく個人の独自な体験から掘り下げていく(でも実はそれがある種の普遍につながることがある)。

絶望だって、分かち合えば希望に変わる。熊谷晋一郎さんが語る「わたしとあなた」の回復の物語
僕は社会を明るくしたい。だから、身体が動かなくなっても挑戦し続ける。ALS当事者の武藤将胤さんを駆り立てる想い
あなたは目、私は耳」二人一緒だから自然体で歩いてこれたーー聴覚障害・視覚障害のアスリート高田裕士・千明夫妻の足跡
うつ界のアイドル(非公認)の引退宣言に寄せて
「」をはずす旅――神戸・東北・ニューヨーク

最初から「社会問題」を取り上げようという熱意を持っていないから、わたしにとっては、ただただ自分の大切な人・好きな人について描いてきただけなのだけど、でもそれが良かったのかもしれない。

先日友人たちと共に出たイベントで語られた言葉を使うのならば「小さな物語」的アプローチとでも言えば良いのだろうか。

自分自身の心が動く方へ動く方へと、ある種のジャーニーのようにして書いていくような感覚だ(それは以下の担当取材記事でヨリスさんが語ったこととも重なるかもしれない)。

専門家にならなくていい。「問い」が投げられれば。ヨリス・ライエンダイクと佐々木俊尚が考える、これからのジャーナリストに必要なこと


前置きが長くなった。わたしは、いま、何を描いていくのか。

冒頭述べた通り、わたしは先日父になった。

自分が父親になっていく過程を通して、子どもが生まれ育つこと、「わたし」の中に「父親」や「母親」というアイデンティティが生まれ育っていくこと、その中で家庭をつくっていくということ、一人ひとりの選択と、それを取り巻く社会のこと…を考えていきたい。

それを、これまでやってきたように、「わたし」の違和感や疑問から出発しながらも、似たような、しかし違う経験をして「親」になってきた「あなた」たちのお話を聞きながら、描いていきたい。



軽々しく「奇跡」と言うつもりは毛頭ないが、やはり子どもが生まれるというのは「偶然」の産物だと思う。

私はいま仕事で、主に発達障害がある子どもやその保護者に対するサポートをしているが、もちろんそれ以外にもたくさんの新生児・小児疾患・障害というものはあって、改めてネットで調べてみたりすると、発生率が1000人に1人とか2人とか、そんなに少なくないものが1つや2つでなく、けっこうな数としてあるのだ。

たとえば私がいた大学は1学年3000人、今いる会社はスタッフ総勢2000人弱なのだけど、つまりそれぐらいの規模の人口に対して1人や2人は該当する、という類の疾患・障害が、発生するかどうかわからない「リスク」として、産前産後の母子を取り巻いている/いた、のだ。

実際、同世代の友人・知人も次々と出産していくなかで、わたしがこの分野で仕事をしていることもあってか、生まれたお子さんの障害・疾患についての報告や相談を受けることがあった。実際問題、それぐらいの頻度で発生するのだ。

ところがわが家の場合、それらのリスクをなぜだか(今のところは)スルーっとすり抜けることができたのか、「母子ともに健康」であるようなのである。

「わたしたち」どの家庭の境遇が入れ替わったとしてもおかしくはない。それなのに、どういうわけか今、「ちがう」人生を生きている。

これはいったいどういうことだろう。

お互いに責任なんて取れっこないし、実際に「入れ替わる」ことなんてたぶん出来ないんだけど。“あり得たかもしれない“という事実に対して、ただ祈るような気持ちになることがある。

祈ったところで何も変わらないのだけど、でもどうあれ、「わたし」も「あなた」も、それぞれの人生をどう生きるかということを考えていかなきゃならない。

「親」になった一人ひとりが、また共に家庭を営み子どもを育てる「パートナー」が、そしてまだ言葉を発さぬ新しい生命が、それぞれにどんな選択をして、どんな物語を編んでいくのか。

そういうことをこれから見て、聞いて、考えて、書いていきたいと思う。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

いただいたご支援は、執筆活動における活動資金(書籍などの資料代、取材・見学交通費など)として使わせていただきます。

17

Yuhei Suzuki

父になって働きながら考えたこと

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。