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あと何回桜を観れるだろうか。

死を自覚している人は強い。

人間はいつかは死ぬ。

どんなにお金を持っていようが、持っていまいが
どんなに学歴が高かろうが、低かろうが
どんなに美しい容姿だろうが、そうでなかろうが

人はいつかは死ぬということでいうと、みんな平等だ。

こんな本を読んでいる、

ひすいこうたろう氏の、「あした死ぬかもよ?

27個の質問を通して、人生について考えようというほんだ。

今日はその一つ目「あと何回桜が見れる?」に応えたい。

あと51回桜を見れる

今自分は29歳だ。
日本の男性の平均寿命は大体80歳らしい。

そう考えると、80 - 29 = 51

自分はあと51回桜を見ることができる。

さてこの数字を見てどう思うだろうか。

改めて突きつけられると、少ない。と思った。

小学校の入学式で見た桜。
卒業式で見た桜。

大学の入学式では、母親と桜の下で写真を撮った。

そんな桜。あと51回しか見ることはできないのだ。

すぐ数えられるくらいの回数しかないのだ。

1回1回が重要だ。

自分の親は、桜を15回しか見れない

自分の父親は、65歳だ。

ということは15回しか見れない。
もちろん誤差はあるけども、大体そんなものだろう。

これが現実なのだ。

人はいつかは死んでしまう。

悲しいし、考えたくもないことだ。

自分が死ぬのもそうだが、
身近な人が死ぬことなんて信じたくもない。

でも確実にやってきてしまうのだ。
桜があと15回散ってしまううちに。

その過ごし方で本当に良いの?

いつかは死ぬ。

自分も、身近な人も。

そして寿命ではなくて、それは明日来るかもしれない。

これが現実だ。

それなのに、今そんな過ごし方をしても良いのだろうか。

愚痴ばかりをこぼしたり、
惰性でYoutubeばかり見たり、
不安と焦りで時間を浪費したり、

そんな過ごし方で本当に後悔しないだろうか。

目の前の大切な人が、明日もいるなんて。
実はそんな確証はないのだ。

ましてや1年後、5年後も健在である保証なんてない。

自分自身の命だってそうだ。

だからこそ、現実を受け止めて、
今を完全燃焼することだ。

そうできてないのならば、
そうできるように改善を回す。

だって勿体無いではないか。

ああ、もっとこうしたらよかったな。
ああ、もっと優しくすればよかったな。
ああ、もっと伝えたいことあったのにな。

とか。

今が大事なのだ。

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