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日立退社→独立リーグ挑戦、そしてなぜ社会人野球に戻ったか?

明けましておめでとうございます。

三菱自動車倉敷オーシャンズ、投手 兼 非公式広報 の矢部です。

本日は私が日立製作所を退社→独立リーグ挑戦→三菱自動車倉敷オーシャンズに入部するまでをお話させて頂きます。

2年で戦力外。

大学卒業後、私は日立製作所の野球部に所属していました。
日立製作所の野球部は

社業=野球 

といったように、野球部としての活動を優先させてくれるチームでした。
また野球場、室内練習場、ウエイト場、野球部専用寮、専用大型バス、等々。
そして日立市、職場の熱い応援。
社会人野球界トップクラスに恵まれている環境でした。

・シーズン中は午前仕事、午後練習。
・大会前になれば終日練習。
・終日出勤はシーズンオフや大会後だけ。

世間一般でいわれる、社会人野球チームもこのようなイメージだと思います。

日立製作所、同期のみんなと。

ですので野球でチームに貢献できなければ、もちろん肩を叩かれることもあります。
私は2年目が終わったときに戦力外通告を受けました。
いわゆる"上がり"と呼ばれているものです。
野球部を辞めることになっても会社には残ることができる、今考えても素晴らしい環境だと思うのですが。

"退社して野球を続ける"

日立製作所の社員として勤めることのできる権利を放棄する選択をしてしまいます。
母親ブチ切れ、祖父母は呆れる、周りも反対。
賛成してくれたのは少数でした。

野球人生の恩人からの言葉。

最初は社会人野球チームでの移籍先を探していましが、荻野忠寛さんのご縁で生山裕人さんと初めてお会いした際に言われた

「矢部ちゃんは何で野球続けるの?NPBに行きたいからじゃないの?」
「自分の野球人生の責任をとれるのは、自分しかおらんで?」

この言葉は今でも心に残っています。
あと#独立リーグたまらん お話と。
(NPBに行くための独立リーグのメリットをお話してくださいました。)

あとは日立時代〜現在に至るまで大変お世話になっている変な先輩たち。
山本淳さん(元埼玉西武ライオンズ)
荻野忠寛さん(元千葉ロッテマリーンズ)

から

「育成でも何でも絶対にNPBは経験した方がいい」
「プロになれなくて後悔するやつはいても、
プロに入って後悔しているやつは見たことない」

とNPB経験者の方から背中を押してもらえたこと。

最後はなにより、30歳、40歳と年齢を重ねたときに、あのとき続けていれば指名されたのかな?
後悔したくない思いと。
大学4年時〜日立時代、野球が全然うまくいかず(ただの実力不足ですが、、、)、野球に嫌なイメージを持ってしまっていて、辞めるときぐらい
野球楽しかったな!やっててよかったな!!
という気持ちで終わりたい。と私自身が思い、独立リーグ挑戦を決断しました。

石川ミリオンスターズ

ご縁があって石川ミリオンスターズにお世話になることが決まりました。
そこでは寺田光輝(元横浜DeNAベイスターズ、現医学生)という親友に出会うこともできましたし、

多田野数人さん、立教の大先輩に教えて頂くことで引き出しがかなり増えました。

教わったことや、#独立リーグたまらん お話はまた今度させていただきます。

石川ミリオンスターズでは前期はリリーフ、後期は先発をさせて頂き、チームは前後期地区優勝、BCリーグチャンピオンにはなれませんでしたが、充実した1年を送ることができ、

独立リーグを選んでよかった!

心からそう思うことができました。

そしてドラフト会議。
私は調査書が来なかったので、指名の可能性はほぼありませんでしたし、独立リーグは1年。と決めていたので退団も決まっていました。

独立リーガーあるあるなのかもしれませんが、もしかしたらあるかも?そういう気持ちで当日を過ごしていたのを覚えています。

あと野球はやり切った気持ちと、まだまだ野球を続けたい気持ち、半々ぐらいでした。
ドラフト会議が終わるまでは。

ドラフト会議

調査書も来てない私はもちろん指名はありませんでしたが、1年間この日のためにやってきていたので残念な気持ちと悔しい気持ちもありました。

石川ミリオンスターズからは、
坂本一将さん(元オリックス )
大村孟(元ヤクルト)

(もーくん、現役お疲れ様でした!)
安江嘉純(元千葉ロッテ)
が指名され。
大学の頃からピッチャー陣で仲の良かった
澤田圭佑(オリックス ) 
田村伊知郎(埼玉西武)

も指名され、
そして何より大学の先輩の
菊沢竜佑さん(元ヤクルト)
の指名に1番心が動かされました。

なぜか?
菊沢さんは当時28歳で、軟式の野球部に所属していて世間一般のドラフト候補とは違う経歴でした。

諦めずに続けていれば指名されるかもしれない!
まだチャンスあるじゃん!


まだ野球を続けよう!と決めたきっかけをくださいました。

再び社会人野球へ

そう考えたとき。

・28歳頃まで独立リーグで野球を続けるのは収入面でも厳しい。

・育成指名は若いポテンシャル系の選手が指名される傾向にあり、私が今からポテンシャル枠で指名を勝ちとるのも中々難しい。

・現状では社会人野球の方が即戦力として見てもらいやすく、年齢が上でも指名される可能性はある。


といった理由で社会人野球で移籍先を探すことにしました。
あとは、社会人野球をクビと言われた私が、もう一度社会人野球に戻ったときにどれくらい通用するのか腕試ししてみたい。という気持ちもありました。

そうして、ご縁があって三菱自動車倉敷オーシャンズに拾って頂きました。

三菱自動車倉敷オーシャンズでもドラフト指名を目指して頑張りましたが、指名はなく、NPBの選手になるという小さい頃からの夢は叶わずに終わりました。
(なんだよ、諦めたの?つまんねーな。と多田野さんからはよく怒られます。)

NPBには行けませんでしたが、

都市対抗で投げさせて頂いて。

大学生ぶりに神宮球場で投げさせて頂いて。

阪神タイガースと甲子園球場で試合させて頂いて。

たくさんの素晴らしい経験をさせて頂き、何より周りの方々に恵まれてここまで野球を続けてこられました。


1日1日まだまだうまくなれるように頑張りますので、本年も引き続き矢部佑歩をよろしくお願いいたします。

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