見出し画像

ブリキの満月について

 月が綺麗と喜ぶ気持ちは分かるけれども、あれは書き割りの空に吊られたブリキです。だから、あんなに綺麗なのです。大体、本物の月はあんなに光ったりしませんよ。本物は光り輝く偽物の裏に隠れて、修繕作業の真っ最中です。

 月のアバタは酷いものです。偽物ですらあの有様ですから、本物はもっと傷んでいるのです。磁気嵐や太陽風は、お肌にとても悪いのです。その上、月はお年寄りです。満ちたり欠けたり、地上の人々を欺き続けてきたものが、ついに限界となり、数年前から代役を立ててやり過ごしているわけです。

 修繕作業はウサギが行っています。月ではウサギが奴隷として使役されるものと、大昔から決まっております。可愛いウサギが汗水流し、赤い目をさらに真っ赤に充血させて、昼夜の区別なく、三交代制のシフトを組んで働いているのです。地上から見上げる月は小さいですが、実際の月はとても巨大なものです。千羽のウサギが休みなく働いても、百年程度は掛かる大仕事です。ウサギの寿命は、決して長くはありません。十年生きるものも稀であると聞きますから、月面の過酷な労働環境下にあっては、平均して三年程度、働ければよいほうで、寿命を待たず、ケガや疲労で歩けなくなるウサギの方が多いのです。

 働けなくなったウサギはどうなるのでしょう。簡単です。鍋になるのです。鍋ももちろん、ウサギたちがこしらえます。倒れたウサギを順番に荷車に乗せて運びます。皮を剥ぎ、ぶつ切りにして、鍋の中へと放り込みます。親兄弟に従兄弟、再従兄弟、親類縁者などの係累のみならず、同じ釜のメシを食った同輩達を食べてウサギは働きます。ニンジンや、ダイコン、レンコン、ジャガイモなどと一緒に、ウサギの肉は煮込まれます。ほろほろと、前歯が触れた瞬間にとろけてしまうほど、よく煮込まれていますから、食べるウサギたちには、どのウサギの肉であるか、知りようがありません。ただ、自分たちで仲間を荷車に乗せるわけですから、見当くらいはついているかもしれません。

 このような惨い仕打ちを強いている存在は、果たして誰なのでしょう。ウサギたちは知りません。夜空を見上げて考えます。眉間に皺を寄せたまま考え込んで、中にはそのまま飛んでしまうものもいます。そのまま帰ってこないものもいますし、途中で宙返りして引き返してくるものもいます。広大な星空は美しいものですが、また恐ろしいものです。一度、月から離れてしまえば、いくら耳の大きなウサギといえども、自由に飛び回ることはできません。小さな頭蓋の中で、薄れていく意識を抱え、いつ果てるともなく旅を続けることになります。自身の生まれてきた意味や、孤独について、あるいは過去や未来について、様々なことを考えるでしょう。

 どこか、地表に降り立つことができたなら、自分の気持ちを伝える相手と巡り会えるかも知れませんが、それはとても難しいことです。ウサギの言葉が通じても、ウサギの伝えたいことが、正しく伝わるとは限りません。一生懸命、丁寧に説明しようとすればするほど誤解されてしまうでしょう。言葉とは、思考とは、理解とは、とても難しいものなのです。

 いずれ会う誰かに対して、片想いし続けることしかできません。手紙を書いても送る手段がありません。瓶に詰めてどこかへ流したとしても、宇宙はとても広いのです。だから、手紙を書きためて、最後に燃やしてしまうのです。そうして星になることで、伝わることもあるでしょう。その塵やホコリを固めて、地表の穴を埋めるのが、ウサギの日々の仕事です。月が再び輝きを取り戻す日まで、あとどれくらい掛かるのか定かではありません。

 ああ、今日もブリキの偽物が大層キレイで素敵です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?