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「キップル」考

 他の惑星で生活するような未来は、残念ながら私には想像できない。空を見上げたとて、この宇宙のどこかに存在するであろう生命に思いを馳せる機会もない。現在、我々は地球で暮らしている。そして、おそらく地球で死ぬだろう。いまのところ、他の選択肢はないように思われる。

 では、P・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の舞台であったらどうだろう。この作品の地球は、人類の主たる生活の場としての役割を半ば失っている。世界は第三次世界大戦の影響による環境汚染に見舞われていて、各国政府主導による他惑星への移住計画が推進されてはいる。しかし、それはどのような人間であっても移住できるものではない。「放射能性降下物の充満した朝の灰色の大気は、太陽をかげらせ」(P・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』浅倉久志訳、早川文庫、1977年、p11)、「しぶとい生存者たちと対決してその精神と遺伝子を錯乱にみちびいている」(前掲書、p11)ため、心身の検査によって適格者と判定された人間しか移住は許可されない。もし、この検査で異常が認められた場合、遺棄された土地である地球を脱出することなく、死ぬまで留め置かれることになる。この作品の登場人物のイジドアは、そのような立場の若者の一人だ。彼は倒壊しそうな廃ビルの一室で、苛立ちを募らせながら暮らしている。

政府のメッセージは彼に告げるのだ。マル特である彼が必要とされていないことを。使い道がないことを。かりに彼がそうしたくても、移住できないことを。だから、そんなものを聞いてなんになる?(前掲書、p30)

 現代社会でも「政府のメッセージ」に相当するような暴力は度々見られるもので、イジドアの気持ちに共感したくもなるが、彼が自分自身のことを「使い道がない」人間とみなしている点に私は興味を引かれる。

 彼は自身の住居を埋め尽くす塵芥を「キップル」と呼び、その奇妙な性質について以下のような説明を加えている。

「キップルってのは、ダイレクト・メールとか、からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とか、きのうの新聞とか、そういう役に立たないもののことさ。だれも見ていないと、キップルはどんどん子供を産みはじめる。たとえば、きみの部屋に何かキップルをおきっぱなしで寝てごらん、つぎの朝に目がさめると、そいつが倍にふえているよ。ほっとくと、ぐんぐん大きくなっていく」(前掲書、p84)

 この「キップル」は生活ゴミのようなものであるけれども、作中に登場する模造動物やアンドロイドと同様に、その大半は人工物である。しかし、その特徴や作用は有機的で、むしろ自然植物に近い。塵芥の溢れかえった廃ビルは、まるで廃墟に蔓延る植物のように「キップル」は建物を飲み込もうとしているようにも思われる。

 そして膨張し続けているのは「キップル」だけではない。放射能に汚染された大気が、地球上で生活する人類の遺伝子を傷つけ、イジドアのように移住することの許されない人間を日々生み出し続けていることを思い出して欲しい。

 イジドアが自身を「使い道がない」とみなす視点は、彼が人類という種を覆い尽くそうとしている「キップル」の一部であるという解釈へと私を導く。そこから、高度に発達した文明社会が、「キップル」という得体の知れない植物によって蹂躙されているヴィジョンが浮き上がってくる。

 建築物が繁茂する植物に覆われ荒廃していく光景について、クリストファー・ウッドワードは『廃墟論』で詩人P・B・シェリーの体験を紹介している。

 一八一九年の春、シェリーがローマへやってきたとき、彼自身も苦しみの中にいた。まず、ヨーロッパ情勢が彼を憂鬱にさせた。そして次に、彼自身の生活でも、この時期に不幸な出来事が起こり、意気消沈していた。(中略)彼にはどこへもいく場所がなかった。ヨーロッパ中が暴政によって足枷をはめられていたのである。
 そんな状況の中で、シェリーが未来に希望を見つけ出すことができたのは、古代ローマの遺跡の中だけだった。とりわけそれは、カラカラ浴場の中で咲き乱れる花や木々の中だった。(中略)権力の象徴である建物も、イチジクやギンバイカや月桂樹などの根が、徐々にその石組みに入りこみ、それをゆるめていくにしたがって、崩れ、崩壊しつつあった。草木の活力に満ちあふれた、猛々しい多産な能力は、自然の避けがたい勝利を約束していた。(クリストファー・ウッドワード『廃墟論』森夏樹訳、青土社、p116ー117)

 イジドアは彼の所属する社会的な枠組みの内側では、たしかに「キップル」のような存在かもしれない。しかし「キップル」は、シェリーの見たカラカラ遺跡を覆う植物群の末裔でもある。イジドアもまた、地球に残された文明社会の遺跡を覆う植物群の一部である。作品世界における「自然の避けがたい勝利」をあえて設定するならば、地球上で生活している人類の滅亡だろうか。鬱屈とした所在のなさを抱えて生きるイジドアは、木蔦のように生に絡み付き、「キップル」に埋没した地上で死ぬのだろう。やがては彼自身も本物の「キップル」となる。そして、地球上に残された人類の遺跡も、何もかも「キップル」に取り込まれ、人類滅亡は完遂される。

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