見出し画像

上石神井の町中華『喜楽』は5月に閉店していた

上石神井にあった『喜楽』という中華料理屋が無くなってしまった。

西武新宿線にある上石神井は僕が初めて一人暮らしをした駅だった。
当時二十歳で大学二年になった僕は「仮面浪人してもっといい大学に行け」という父の圧力にも負けず、元気に大学をサボりまくり一年生時の単位は両手で足りるくらいであった。
二年になってからも学問への熱は上がらず、mixiで知り合った関西の女の子と付き合ってお互い行き来をして、こっちに来た時にはこっそり自分の部屋に泊めていた。
それが父にバレてしまってからは話が早かった。
もう家を出て行け!ということになりトントン拍子に一人暮らしをするという話になった。
しかし、箱入り息子の僕がいきなり着の身着のまま裸一貫で何かできるわけもなく、ほとんどの金を母に頼った。
そして無事引っ越し。
引っ越し前夜に、これからの生活に胸ときめかせる僕の部屋に父親(この時、実に二年近くまともに口を聞いていない)が入ってきて、僕の頭を撫でながら泣いていたのに気づいてはいたが、それはまた別のお話。
翌日には顔も合わせず僕は実家を出た。

上石神井という駅は西武新宿線の中では急行も止まる駅ではあるが、車両のおやすみゾーンとしての意味合いが強く、駅前は大して何もなかった。
駅にくっついている西友は異様に天井が低く、少しすえたような匂いがしていて気が滅入った。
駅から歩いて5分強、全面的に線路に面した六畳一間が僕の初めての城だった。
粗大ゴミに出されていたマットレスや、当時の大学生の必需品であるテレビデオ、実家から持ち出したスチールのラックとコンポ、あとは大量の服を詰め込んだらその部屋はすっかり窮屈になってしまった。
家のコンロは電熱線のものが一つあるだけ。
僕はそこでもやしだけの焼きそばやわかめだけの味噌汁を作って暮らしていた。

それまでバイト禁止の家庭だったので、こっそりと引っ越しや強制撤去の単発バイトをしていたが、そこまで実入りが良いわけではない。
そんな僕が始めたのは水商売だった。当時の先輩に紹介されて、キャバクラのスカウト仕事を始めた。
渋谷の街を練り歩き、これと思った女の子に声をかける。
うまくいけば連絡先が聞けるし、そうでなければ全く無視をされる。
しんどいけれど、束縛から解き放たれた二十歳の若者にとっては魅力的な仕事だった。
バイトは大体9時前後までだった。そうなると、仕事後の食事は大体家で摂ることになる。
渋谷から上石神井まで帰ると時間はすでに22時をまわっていて、なかなか店が選べない。
そんな中輝いていたのが『喜楽』であった。
家に帰る道の途中、十字路の角に黄色い看板を掲げている店だった。
昼間はシャッターが降りていて、夜9時になると店がオープンし、朝5時までやっていた。
外から中の様子が見づらいため、なかなか入るのに勇気が必要だった。
カウンターだけの小さい店の中で、角刈りに白いおじさんシャツを着た小柄で優しそうなおじさんが魔法のようにフライパンを振るっていた。
初めて食べたのは唐揚げ定食。ここの唐揚げは鶏肉を一枚使ったものが二枚、ものすごいボリュームだった。しかし、食べ盛りの若者はそれを大盛りにして、1日分の栄養とカロリーを摂取していた。
他にももちろん様々なメニューがあった。レバニラ、ラーメン、そしてピーマンと豚肉の細切り炒めや茄子を炒めたものが絶品だった。
瓶ビールを頼むとモツ煮がついてきたりおしんこが出てきたり。
僕は一時期週二回のペースで通っていたが、あっという間に顔を覚えてくれて「今日は仕事帰り?」とか「寒いからモツ煮つけとくよ」と優しく話しかけてくれた。
最寄駅についてから誰にも話さず家に帰って眠ることも多かったが、そうでない夜があったのは『喜楽』のおかげだった。
あの頃付き合ってた女の子や、遊んでいた女の子を連れて行った記憶はないが、当時の大学の友達はよく連れて行った。
上石神井に住んでいたのはほんの二年くらいで、その後は同じ沿線の『田無』に引っ越して、それ以来ほとんどご無沙汰してしまっていたが、最後に行った時の写真だけ残っていた。

今では金沢で旅館のオーナーになった文吾と、andymoriのドラムとして名を馳せた後我が道を進んでいる後藤のツーショット。
どこからどう見ても昭和なのだが、平成後期の写真である。

寒い日に、扉を開けておじさんの笑顔を見る。
コートを脱いで適当に丸め、空いてる席に座る。
とりあえず瓶ビールを頼みつつ、見慣れたメニューを眺めて「何にしようかな」と悩む。
結局前回と同じものになってしまったりすることも多々あった。
そんな風にのんびりと新聞を読みながら瓶ビールとモツ煮や枝豆をつまむ。
この頃には冷えていた体も暖かくなり、頬のあたりにも血が通い出す。
誰かといれば人の噂話や今日あった出来事について花を咲かせる。
目の前ではおじさんが今から僕らの胃袋に入るご馳走を強い火を操りながら作っている。
すっかり目を奪われながらビールの二杯目を飲む。
出てきた料理は大盛りで熱々で、みんなで適当に分けながらまたビールを飲む。熱い味噌汁で身体が芯まであったまったら、僕の家に転がり込む。
あれは確かに青春だった。

金沢の旅館オーナーに「喜楽無くなったよ」と伝えると「年取るたびに好きだったものはどんどん減ってしまうのに、新しいものは好きになれない。もう上石神井に行くことはないな」と返ってきて、みんな同じ気持ちなんだな、と思った。
もう一度、行けたらよかったな。

#中華食堂喜楽
#上石神井
#街中華
#町中華

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?