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また通り過ぎていった

忘れたけど人はいつか死ぬんだった。
去年にこんなことを書いてたけど忘れてた。
ただ考えないようにしてただけかもしてない。


先週の土曜、とてもとても楽しみにしていたヒトリエのライブが中止になった。
ライブの中止が告知されたあと、週明けの月曜日にその理由がヒトリエの公式LINEで明かされた。
Vo.&Gt.のwowakaさんが亡くなったからライブができなくなった。
いろんなメディアが取り上げてたけど、どうも文字が意味のない記号に見えてしょうがない。
亡くなった原因を知らされても、「もしもこうだったら生きてたんじゃないか」なんて考えてみても、事実は変わらないし、生き返ってくれない。
だったらそんなの意味がないし、もう必要ない。
3月1日に行ったライブを思い出したり、ヒトリエの曲を聞いては、「次のライブも楽しみだなぁ」「あ、wowakaさんはもういないんだった」と心のなかで繰り返してる。その度に心臓あたりに穴が空いたような、どうしようもない虚無感がやってくる。これを受け入れたとき、私はどんな気持ちになるんだろう。



そういえば2018年にやっていたドラマ「アンナチュナル」のあるシーンで、

「たまたま命を落とすんです。そして、私たちはたまたま生きている。たまたま生きている私たちは、死を忌まわしいものにしてはいけないんです。」

って言っていたけど、これってなかなか難しいことだなって思った。
なんせもう彼の歌声もギターも、噛みしめるように話すMCも、4人で掻き鳴らす音楽も、もう聴けないのだから。死が全部さらっていったのだから。怒りなのか虚しさなのかもわからないけど、とにかく忌々しいものでしかない。
チケット代の返金の連絡はいらないから、どうか4人の音楽が聴きたい。

なんであの日だったんだろう。
どうせ死ぬことはもう決まってるんだし全員平等にやってくるんだから、わざわざツアーの途中、しかもライブの前日じゃなくてもいいのに。
神様なんていないんだなって。
じゃあ私たちは何に手を合わせているんだろう。


今、なにかに必死になってる人、なにかを必死になってつくっている人。
気持ちが先走って身体が追いつかなくなる、なんてことにならないでほしいし、本当陳腐だけど、身体は資本なんです。身体がダメになったら元も子もないんです。
死なないで、とは言えないけど、どうか生きていてほしいと思う。

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