見出し画像

優れた運用会社には、必ず一貫した投資哲学がある

「投資はまごころであり 金融はまごころの循環である」

これが鎌倉投信の投資の哲学である。通常の運用会社では、株式などに投資をするとき、事業の成長性を見たり、財務分析をしたり、それに対して株価が割安か割高かなどを判断して投資する。それなのに「まごころ?」と感じる人がいるかもしれない。鎌倉投信でも、もちろんそうしたことはおこなうが、それよりもその会社の本当の価値、真価を見定めることを大切にしている。それが「投資はまごころ」に込めた想いである。


「投資はまごころである」ことの意味

「投資はまごころ」とは、目に見えない、嘘偽りのない本物の価値がどこにあるのかをしっかりと見定めるということ、表面的な財務諸表や株価だけを見て投資するのではなく、本当に、人や社会、未来にとって「いい会社」かどうか、事業としても広がりをもつかどうかを見極めて投資をすることを意味します。つまり、単なる優しさや思いやりを表したものではありません。むしろ、厳しく本物を見る目を持つという意思の表れです。

それだけにより深い洞察力が求められるでしょう。そのため、鎌倉投信は、単に財務諸表を分析したり、レポートを読んだり、投資家ミーティングで社長の説明を聞くだけで投資することはありません。何度も何度も現地を訪問し、会社の雰囲気を感じ取ったり、仕事をする現場を観たり、社員や場合によっては取引先と話をすることを繰り返します。その期間が何年にも及ぶこともあります。また、そうした間に、鎌倉投信との対話を通じて「いい会社」になろうと努力してくれる会社が出てくることも少なくありません。

「金融とはまごころの循環である」ことの意味

そして、鎌倉投信は、このような過程を経て投資すると決めた後は、「いい会社」が「いい会社」であり続ける限り、全売却を前提とすることなく「投資し続ける」ことを投資の基本姿勢としています。この投資姿勢があるからこそ、投資先と信頼関係を築くことができ、お客様にも自信をもって「いい会社」の取り組みを説明することができるようになるのです。

いろいろな会社の株式に投資をするということは、株主として会社の方針を決める権利や、利益の分配を得る権利などを有することを意味します。しかし、それを投資家が享受できるのも、そこで働く社員や取引先、取引先のさらに先にいる人や自然の恵みがあるおかげでもあります。しかし、株式やモノを、市場を通じて買う時には、そうした関係性は想像しないと見えてきません。そうした見えない人や自然に対して、感謝や畏敬の気持ちをもつことが「まごころの循環」であることを意味します。

買い物や食事をしてお金を払う時、人はよくお金を払う相手に「ありがとう」と口にします。また、食事の時には「いただきます」「ご馳走様」と手を合わせます。それは、元をたどれば、目の前の人だけではなく、それに関る多くの人への感謝、自然の恵みへの感謝の気持ち、目に見えないものへの感謝の言葉だったのではないでしょうか。

投資もまた同じです。目に見えない多くの人のおかげで会社は運営され、モノやサービスが生まれ、社会に価値を提供し、売上・利益につながり、その一部が株主に還元されます。そう考えれば、株式投資で利益が得られるということは、多くの人や自然の恩恵に他ならないとてもありがたいことなのです。

「金融とはまごころの循環である」をお客様の声から実感することも多くあります。いくつかの例を紹介しましょう。

「結い 2101」をはじめて約1年になりました。“やろう”と決めて本当によかったです。私も豊かになりながら社会にも役立っている。これが気持ちいいのです。(60代女性)

コロナショックでどのような対応をされていたのかを伺い、納得いたしました。(中略) つい短期の利益に目が行きがちですが、御社の報告会に参加すると、投資の意義や意味を考えます。投資の初心に帰るというイメージです。(50代女性)

貴社の投資先が成長すること、そこに自分のお金が関わっていけることがとてもワクワクします。あと、いい会社訪問は家族と参加したい企画です。私の息子に本当の投資とは何かを教えるとてもよい機会になります。楽しみにしています!(30代男性)

とてもありがたいメッセージです。

投資信託「結い 2101」に込めた想い

鎌倉投信は、公募型の投資信託「結い 2101(ゆいにいいちぜろいち)」の運用・販売(直販)から事業を始めました。投資信託とは、たくさんの人からお金を預かり、様々な有価証券に投資をしてお金を増やし、その利益を投資家であるお客様に還元する投資商品です。日本には現在約6,000の投資信託があります。そのうちの一つが「結い 2101」です。「結い 2101」という公募の投資信託を通じて、独自の視点でこれからの日本にほんとうに必要とされる「いい会社」に厳選して投資をすることで、投資家の資産形成と持続的な社会の発展の両立を目指しています。

この「結い 2101」には、名前に込めた想いがあります。次なる世紀「2101年」に向けて、人と人、世代と世代を「結ぶ」豊かな社会を、皆と共に創造したいという想いです。

「結い」という言葉には、人と人が信頼し合い、共に何かを創造する共創の意味があり、その心(思想)を表します。日本やアジア諸国では、多大な費用や労力が必要とされた田植えや茅葺きを、人々が助け合い協力し合っておこなうなど、「結い」の文化が伝統として受け継がれてきました。今でも、合掌造りを守る白川郷や沖縄などでは、生活を支える「結い」の慣習が残っています。鎌倉由比が浜の地名も、もともとは”結いの浜”と言われたように「結い」は、とても身近なものでした。しかし、人と社会や地域のつながりが薄れる現代、その心が忘れられつつあると言われています。だからこそ、私たちは身近にある「結い」の言葉の価値を見つめ直し、人が善く生きるための大切な想いとして後世にも伝えていこうと、世代を超えて受け継がれる無期限の投資信託の名前につけたのです。

今、私たちが目にする金融商品の多くは、自分のお金がどこに流れているのかを十分に知ることはできません。預貯金や年金、保険も例外ではく、私たちのお金は、私たちの知らないところでいろいろなものに投資されています。だからといって、私たちは、自分のお金が向かう先について無関心であってはならならないと感じています。一人ひとりが自分のお金に関心を持つ、貯めるだけではなく使い方にも関心を持つ、一人ひとりのこうした意識がお金や経済の暴走を防ぎ、自律性のある資本主義の土台になると思っています。

「結い 2101」では、投資家からお預かりする大切なお金が、どのような理念に基づいて運用され、どのような会社に投資され、それが社会の価値創造や発展にどのように貢献して、投資家自身の利回りとして還ってくるのか・・・その循環を可視化し、体感できるようにしてきました。投資家一人ひとりが自分のお金の行く先に関心を持ち、投資、すなわちお金の循環を通じて「いい会社」をふやし、よりよい社会創りに参加する、そういう「結い」の思想を底流にもった投資信託にしたいと思っています。

3つの「わ(和・話・輪)」に通じる「まごころ」の精神

少し長くなりましたが、ついでに・・・

「まごころ」という言葉の意味合いは、鎌倉投信の志に謳う「和」にも通じます。

鎌倉投信の志

和とはまず、「日本そのもの」を意味します。

明治維新後に通商条約を結ぶために来日したハリス提督は、「質素と正直さ」、フランスの詩人クローデルは「日本人の高貴性を感じ、世界の中でどうしても残って欲しい民族」と称賛しました。基本的に争いはあっても平和国家だったからかもしれませんが、「見えないもの、自然への畏敬」「互いを思いやる」「遠くを慮る」「自らを律し、慎む心」「ありがたい、おかげ様、徳の精神」を育んできた国だからではないでしょうか。このように「世界から尊敬される国にしたい」という想いを込めています。

次に、この「和」で思い浮かべる言葉が、皆さんがよく知る「和を以て貴しとなし、さからうことなきを旨とす」でしょう。日本国最初の憲法である十七条憲法の第一条の基本精神は、調和と平和への祈りです。和とは何かについて、第十条では、「心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ」と諭します。「凡人である人の心、人の物差しはさまざまで、互いに譲れないものをもっている。しかし、物事の一方的な見方でこだわりすぎることなく、互いを尊重せよ」という意味だと理解しています。

孔子は論語の中で、同じようなことを「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言っています。和を貴ぶということは、人皆それぞれに違いがあるという前提があってこそいえることではないでしょうか。違うものがあるからこそ和していくことの意味が生じます。「和して同ぜず」という言葉には、和することと同じだけ、「同ぜぬ自己」の大切さを含んでいるようにも感じています。同ぜぬ自己を心に据えつつ、なおかつ和の精神で人を活かし、自分を活かす精神を謳っているのはないでしょうか。

真に和を求める人でなければ平和な国、平和な社会など実現しない、国民全体の教養や人格を高め、善心善行を旨とする立派な国民によって形成される和の国家、平和な国家を作り上げたい。そう謳っているように感じます。なかなか高いハードルです。

最後に、「中庸」です。「中」には、「結い」と同じ「結ぶ」という意味があります。相対立しているものを統合(合い結ぶ)して一段高いところに進める、創造するという意味でしょう。それと同時に、「あたる」という意味があります。中るとは、天運(時代の変化)のめぐりくるのを予知して事を為し、そのことが天理にたがわないこと、時にかなっていることをいいます。そして、物事が動きだし、それらがしかるべき節度にピタッとあてはまる状態を和ともいいます。一人ひとりの個が自立し、個を互いに認め合って、新たなものを創造すること、多様性を認める力を中庸の精神というのだと思っています。

「まごころ」という言葉は、調和の中から新たなものを創造していくという意味を表わすものでもあるのです。

長くなりましたが、noteにお付き合いいただきありがとうございました。早いもので今年も残りわずかになりました。少し早いですが、今年一年本当にありがとうございました。新たな年が皆様にとってよい一年になることを心から祈念いたします。



この記事がよいと感じた方は、「すき」ボタンを押したり、SNSで感想をシェアしてくださると嬉しいです。
皆様の反応や感想が鎌倉投信の「わ」を拡げる力になりますし、何よりも筆者の励みになります。

鎌倉投信のメールマガジンでは、noteの最新記事・鎌倉投信の新着情報を隔週でお届けします。ぜひ登録してください。

▶鎌倉投信HP
▶ソーシャルメディアコミュニティガイドライン