「継ぐ」ということ

京都に住んでライターとして仕事をしていると、いわゆる老舗に取材に行くこともある。

たった3年しか住んでいない私なんかが、何百年と受け継がれてきたお店につい取材させてもらうなんて「おこがましいことだ」と思いながらも、老舗店の店主と直接お話できる機会はよそ者の私が普通に暮らしていたらまずないことだから、ありがたくその機会を楽しませてもらっている。


「継ぐ」ということについて考えるようになったのは、京都に住んでからだ。

生まれ育った三重から北海道へ。同じ場所やコミュニティにずっといることのできない私は、人生のほとんどで見送られる側だった。

とくに明治時代に開拓された北海道は、新しいもの・人で構成されていて、「継ぐ」ということから遠いところにあったと思う。

そんな私が京都に来て、「継ぐ」ということに向き合わざるを得なくなった。

京都の町に身を置いていると、特別なことをしなくてもただ呼吸をするだけで1000年を越える歴史がひしひしと肌で感じられる。この町を築いてきた先人達に思いを馳せてしまう。


老舗と呼ばれるお店を継いだ人達に話を聞かせてもらうと、皆口を揃えたかのように、「このお店を僕のものだと思ったことはなく、今僕が預かっているだけだ」と言う。

私にはない感覚だったから、この言葉はとても印象的だった。


世の中に溢れる情報は多くが東京発信のもので、スタートアップやベンチャー、大企業と呼ばれる会社がめまぐるしいスピードでビジネスシーンを駆け抜けていく。

僕たちがこのサービスを生み出したとか、前年比○倍の成長を遂げたとか、もちろんそれらも素晴らしいことだけれど、成長や数字が注目される世界にいたままなら、私は「継ぐ」という重みに気付かなかないままだっただろう。


京都で暮らす中で私が継ぎたいもの、継ぐべきものも見えてきたから、これからゆっくりと向き合っていきたい。

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北川由依

きょうも京都日和

京都で暮らすライター北川由依の日記。京都で生きること、働くことについて考えたこと中心に書いています。
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