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月9ドラマ『女神の教室』第2話の考察(弁護士の視点から)

第1話に引き続き、「女神の教室〜リーガル青春白書」第2話を見て弁護士視点で個人的に気になったことを、つれづれなるままに書き留めます。

ロースクールとアルバイトを両立する大変さ

作中で、水沢拓磨が夜間アルバイトをしながら勉強を続けるシーンがありますが、これはかなり負担の大きいことだと思います。ロースクールの場合、講義のない時間帯においても、翌日の講義に向けた予習や、ロースクール内での試験に向けた復習をしつつ、さらに、司法試験対策のための勉強もしなければなりません。このような様々な勉強をしなければならない中で、夜間アルバイトを両立することは、かなり肉体的・精神的に負担の大きいことであると思います。

とはいえ、実際にロースクールとアルバイトを両立している方はいらっしゃいます。ロースクール生の多くが社会人経験のない方ですので、家庭からの経済的援助が十分にないと、経済的にかなり苦しい状況になります。ドラマで描かれているようなロースクール生の経済的問題も、現在に存在していることです。しかし、このような問題への対策は、あまり議論が進んでいないのが実情です。

柊木先生からの課題-銭湯問題について

作中で柊木先生から実務演習の課題として示された問題は、要約すると、次のようなものでした。

右腕にタトゥーを入れた男性Xは、銭湯を訪れたところ、店主から入店拒否の意思を示された。それでもXが入店しようとしたところ、店主が入店を防ぐためにXの両肩を押したところ、Xは転倒、右腕捻挫(全治2か月)の負傷をした。Xは店主に、1000万円を請求したい。

この問題は、店主がXを暴行によって負傷させた点だけをとらえれば、同種事案における損害賠償額の相場(数十万円程度)を調べたうえで、適正額の損害賠償を求めるというのが(つまり、ロースクール生たちの検討結果)が一般的な結論です。

また、ロースクール生たちが述べていた「私的自治の観点云々」は、要するに、公共施設ではない銭湯において、だれを入店させるか(だれと契約を結ぶか)を決めるのは店主の自由であって、入店拒否は違法ではない、ということです。この事件が現実に民事訴訟になったとしても、同様の判断がされるものと思われます。

ただ、後半になって、ロースクール生たちは、この問題に対し、新たな答えを付け加えます。「銭湯側や行政に対し、タトゥーが入っていることによる入店拒否をしないように、働きかけをしていくことが望ましい」と。

ロースクール生たちは、単なる法的解釈に終始せず、公共的性格のある銭湯の性質を踏まえて、公衆浴場法で禁止されていない入店拒否についても、利用者の人権に配慮して慎重さが求められるのではないか、と述べていたのです。

ロースクール生たちは、店主の対応が公衆浴場法違反だと述べていたわけではありません。あくまでも、法律で解決できない問題について、憲法の趣旨を踏まえた「望ましいあり方」を提言すべきという意見でした。この点に誤解がないように、ロースクール生たちは巧みな言い回しをしており、優秀さを感じました。藍井先生には、法的根拠の不明瞭な「べき論」などバカバカしいという感想しかなかったかもしれませんが、、。

実際、弁護士が、(たとえ一般的に受け入れられていない法解釈であったとしても)立法提言や、「望ましいあり方」を社会に対して主張することは珍しくありません。大きな例でいえば、薬害訴訟で弁護団の活動が、立法的・政策的な解決を導いたケースがいくつもあります。企業法務でも、法規制に阻まれた新規ビジネスの実現のために弁護士から立法解決を提言する「ルールメイキング」という発想が少しずつ広がっています。

また、弁護士の活動においては、法律では解決できない事案において、依頼者にどうやって納得していただくか、という視点も求められます。

作中で最後にロースクール生たちが気づいた視点は、法律家を目指すうえで大変重要なものであると思います。

藍井先生は何の本を読んでいたのか

藍井先生が、柊木先生の授業中に読んでいた本は、本人いわく、宮沢俊義著『憲法の原理』(岩波書店、1993年)と高橋和之著『現代立憲主義の制度構想』(有斐閣、2006年)とのことです。(実際に読んだことはないですし、マニアックな本ですのでなかなか法律家でも手に取るものではありませんが)いずれも憲法の基本原理を学問的に探究する本で、藍井先生の法学に対する探究心の深さを象徴するものであると思います。

この2冊の本から分かるのが、藍井先生が法学に対してかなり深い探究心を持っていることです。藍井先生も、本音では、ロースクール生たちに、無味乾燥な授業でなく、法学の面白さを伝える授業をしたいと思っているのかもしれません。

法学の面白さを探究してほしいという本音と、1人でも多く司法試験に合格させなければならないというプレッシャーによるジレンマに苛まれて、今の人格が形成されてしまったのではないかと想像しました。

藍井先生と柊木先生は、一見すると対極的な存在として描かれていますが、(本音の部分では)根本的には近しい考えを持っているのかもしれません。

柊木先生と藍井先生は理想と現実の象徴

柊木先生と藍井先生は、ロースクール制度の理想と現実を体現しているのかもしれません。

ロースクール制度は、もともと、法律を学んだ多様な人材を育成する場として生まれたものです。司法試験受験生の育成ではなく、より幅広い視点で人材育成をすることが本来的な目的でした。

しかし、現実には、ロースクールの優劣は司法試験の合格者数で評価され、その数を増やせないロースクールは廃止に追い込まれる状況になっています。舞台となっているロースクールが司法試験の合格者数にこだわるのも、このような現実で生き残るためにやむを得ないところがあります。

このように考えると、柊木先生と藍井先生は、ロースクールの理想と現実を体現しているように思えます。

藍井先生はなぜ冷酷な言葉を発したか

藍井先生は、司法試験を何度も失敗して泣きつく元学生に、「もっと早く諦めるべきだった」と冷酷な言葉を発します。

視聴者目線では、「なんてひどいことを」と感じるかもしれませんが、藍井先生のこの発言は、社会からの冷たいあしらいを象徴しているものだと思いました。

現在のロースクール制度においては、司法試験に合格できなかった学生に対するフォローの仕組みがほとんどありません。ロースクール生は、「もし司法試験に受からなければどうすればよいのか」という担保のない不安を抱えています。

問題は、それだけではありません。今の日本の社会では、司法試験に合格できなかった人を積極的に優秀な人材として受け入れようとする考え方が(少しずつ広がっていますが※)いまだに不十分な現実があります。
※次第に、司法試験の合格の有無にかかわらず、積極的に法務の専門人材として採用しようとする取り組みが、企業や地方自治体などで増えてきています。

司法試験を何年も受け続けることは、計り知れない体力と精神力が必要です。それをやり遂げられるだけでも様々な可能性を秘めた優秀な人材だと思いますが、そのような評価をする企業はかなり少ないのが実情です。そればかりか、「社会に出ずに勉強ばかりしていた世間知らず」という偏見を持った企業すら(以前と比べるとかなり減ってきたと思いますが、それでもいまだに)存在します。

藍井先生の冷酷な言葉は、社会のロースクール生に対するあしらいを象徴しているのでないかと感じました。
※前述のとおり、ロースクール卒業生を司法試験の合否にかかわらず採用しようとする考えは、少しずつ広がっています。しかし、そのような考え方は、まだ十分に社会に広がっているとはいえません。ロースクールの貴重な人材をもっと積極的に活かしていける社会になればと願います。

~おわり~
※ noteで執筆する内容は、私の個人的な見解に基づくもので、所属する事務所としての見解ではございません。

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