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朝ドラ「虎に翼」の弁護士考察・第5週(自白の恐怖・共亜事件の黒幕・管を巻く桂場ほか)

第5週は、いよいよ寅子の父の長い闘いが始まりました。戦前の刑事法廷が再現されており、法曹の立場からも大変「激アツ」な週でした。

NHK連続テレビ小説「虎に翼」を視聴して、弁護士目線で気になったことを、毎週noteにしたためています。


共亜事件の黒幕・水沼淳三郎

無罪判決の後、検事と密会をする謎の大物黒幕。新聞記者の予想するとおり、おそらく、「水沼淳三郎」でしょう。共亜事件のモデルとなった帝人事件は、後の内閣総理大臣であり、司法官僚・検察官でもあった平沼騏一郎が黒幕として噂されており、水沼淳三郎のモデルは平沼であると思われます。帝人事件は、当時の政権を揺るがすために平沼が手を引いた国策捜査であったとの説があります。共亜事件というフィクションのもとで、国策捜査の闇を描いており、かなり踏み込んだ内容であったと思います。

戦後の刑事法廷との違い

ドラマでは戦前の刑事法廷が再現されていましたが、戦後の刑事法廷と大きく違うところがありました。

黙秘権の告知がない

検察官が起訴状を読み上げた後で、被告人に罪状認否(起訴状に書かれた罪状を認めるかどうか)の機会が与えられることは同じですが、大きく異なるのは、黙秘権の告知がないことです。

現行制度では、罪状認否の前に、裁判長から必ず、「被告人には黙秘権があること」が説明されます。当時の刑事法廷では、被告人に黙秘の自由が保障されていなかったことが分かります。

捜査を担当した検察官が公判を担当する

現在では、(一部例外はありますが)原則として、捜査と公判は別の検察官が担当する運用になっています。

ドラマで、検察官が、否認する寅子の父に対して、「被告人は一度罪を認めたはず」「あなたね、そういう事実無根のでたらめを法廷で」と語気を強めて威圧していました。

取調べを担当した検察官がそのまま公判廷を担当すれば、被告人としては、取調べで供述した内容を翻すことに強い抵抗感が生まれてしまいます。そのような問題が、如実に描かれていました。

検察官が「自白しましたよね」の一点張り

弁護人から検察側のストーリーの矛盾を突かれるのに対して、検察官が「自白しましたよね」の一点張りを貫くシーン。まさに、戦前の刑事法廷の問題を象徴するものです。

現在では、「自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない」(刑事訴訟法319条2項)と定められていますが、そのようなルールのなかった戦前において、いかに自白が重視されていたかが、如実に描かれていました。

検察官が裁判官と同じ壇上に

穂高先生から監獄法施行規則違反を指摘されて言い訳する検察官に対し、桂場裁判官が「検察は聞かれたことに答えるように」と一喝するシーン。それに対し、検察官が、横から桂場裁判官に「あっ?」と威圧するシーンは、印象的でした。

検察官が裁判官と同じ壇上でえらそうにするシーンは、まさに、戦前における検察官と裁判官の関係性を象徴していました。現在は、検察官と被告人(弁護人)の主張を裁判官が中立的に判断する仕組みになっており、検察官が壇上に立つことはありません。

しかし、戦前の刑事法廷は違いました。検察官と裁判官が一緒になって事実を解明する「糾問主義」という仕組みが採用されていました。刑事法廷における検察官の立場は、現在よりも強大なものでした。

検察官の「あっ?」という一言には、「捜査実務のことを知らない若造のくせに、えらそうに!」という、桂場裁判官に対する反感が現れていました。

なお、水沼淳三郎が検察官と桂場裁判官の両者に圧力をかけるシーンでも、検察官と裁判官の独立性が保障されていなかった戦前の背景が描かれていました。

戦前の刑事法廷の問題が端的に描かれていた

戦前の刑事法廷の問題点が、限られた放送時間の中で、見事に描かれていました。脚本に際して、いかに綿密な考察がされたか、しみじみと感じとれました。

自白を信用することの危険性

自白の信用性は、「何もしていない人が罪を認めるわけはない」ことが前提になっています。しかし、その前提は本当に正しいのでしょうか。

長時間の取調べや、長期間にわたり家族・知人との接触を断たれることでの精神的ストレス、社会からの「いい加減に罪を認めたらどうだ」という見えない圧力など、様々な要因で、「いわれのない罪」を認めてしまうことはあります。

これは、現代社会にも続く問題です。寅子の父は、(革手錠の問題はあったものの)取調べ中に拷問をされたわけではありません。現在の刑事訴訟法を当てはめたとしても、おそらく、検察官の取調べに違法な点はなかったと思います。

このドラマで描かれていることは、決して「過去の歴史」ではなく、現在の冤罪問題にもつながるものです。

第2週の「自由心証主義」発言は伏線だった

第2週で、寅子が、穂高先生に「自由心証主義」の話をしていましたが、共亜事件判決は、まさに、自由心証主義に基づいて裁判官が「自白の信用性」を否定したものです。

第2週に寅子が何げなく発言した「自由心証主義」の話は、共亜事件につながる伏線だったことが、後になって分かりました。

管を巻く桂場裁判官

判決後、穂高先生とお酒を交わす桂場裁判官が管を巻くシーンは、印象的でした。

「司法の独立の意味も分からぬ、くそ馬鹿どもが。」

検察官の横暴を批判した後、桂場裁判官の怒りは、寅子に向けられます。

私があいつらに、へいこらしっぽを振るわけないでしょう。

教え子を馬鹿にされた穂高先生は、反論するかと思いきや、一言「いいねぇ」と。

「いやいや、穂高先生、そこは否定しないと・・・」と思いつつも、この「いいねぇ」には、深い意味が込められていると思いました。

桂場裁判官は、「裁判官は、検察官の横暴を受け入れてはいけないことはもちろん、世論の声に動かされてもいけない」と言いたかったのだと思います。桂場裁判官が、「あいつ」ではなく「あいつ"ら"」と強調したのは、寅子ではなく、世論のことを本音では言いたかったからなのだと思います。

桂場裁判官としては、(寅子たちの地道な活動が実を結び)「世論の声が裁判官を動かした」と言われるのが、どうしても許せなかったのでしょう。

世論がどのような声を上げようとも、自分は自分の考えだけで、つまり、「自由心証主義」に基づいて判断する、という桂場裁判官の熱い思いに、穂高先生は、法学者として「いいねぇ」と本音を漏らしたのだと感じました。

村上一博先生の解説

明治大学のサイトに、ドラマの法律考証をされている村上一博先生の解説が掲載されています。裏話・苦労話が様々掲載され、大変面白い内容です。

「虎に翼」今週の解説 | Meiji NOW

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