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ちょっとしたプロフィール

noteを開設して心機一転、ちょっとしたプロフィールでも書こうかな、と考えました。というのも、こちらの文章を、私と直接お会いしたことがない、ソーシャルメディアや私の著作のみを通じて私を知って頂いた方も多く読まれるのではないか、と感じたからです。おそらくは、それらを通じて受ける印象と、直接お会いした印象でちょっと違うところもあるかもしれませんので。よく考えたら、それはあたりまえですよね。

まず最初に。私はおじさんです。もう若くもないけれども、初老というにはちょっと早い。講義や講演ではじめてお会いした方が、よく、「先生、思ったよりも童顔ですね」と言っていただけます。これは、見た目が若いという褒め言葉なのか、あるいは貫禄がないという非難なのか、あるいはどちらでもなく思ったことを言っただけなのか(たぶんこれ)、わかりません。ともあれ童顔という印象のよう。というのも、私が一冊目の本を刊行してから、まもなく20年。「細谷雄一」ってけっこう年配の大学教授、というイメージがあるみたいです。

それはともかくとして、われながら不思議な人生だなあ、と思うことがよくあります。というのも、自分でもなんで大学教授になったのか、よく分からないからです。もともと勉強も嫌いだったし、読書も嫌いだった。それに成績もひどく悪かった。

私は、小学校6年生のときにはなんとなく家の近くの進学塾に通って、中学受験をしました。当時の私の塾での偏差値は40ぐらいで、一つだけ受けたその中学校に合格するには、偏差値が15ぐらいたりませんでした。で、もちろん撃沈で、受験結果は不合格。そのときに、受験に失敗するのは「運が悪いからだ」と人のせいにして、自分の勉強不足を認識していませんでした。そんな人間が、まあよくえらそうに大学教授をしてられるなあ、と思うことがあるんです。

中学に入ってからは、1980年代の千葉県の市川市は今やっている人気テレビドラマの「今日から俺は!」そのままの世界です。ヤンキー天国で、先生は怯えるか暴力かどちらか。それで、あまりまじめでない勉強が嫌いなヤンキー寄りの集団と、勉強がまあまあ得意な真面目なオタク系の集団か、おおよそ「二択」でした。当時の関東の荒れていた中学校はだいたいそうだったと思うのですが。最初は、後者の方が自分にはしっくりくるかなと思っていたけれども、そんなに勉強もできないし、ふまじめだし、前者の方が安全で快適な学園生活を送れると思い、そちらにシフト。けっこうやばい人もいました。先生にも時々殴られました。まあそういう時代です。ヤンキーが多い集団の周辺にぶらさがる、ぱっとしない生徒。

でも、中学受験に失敗していたので、高校はちゃんと合格したいなと考えていた。それで中1から進学塾に通って、今度は3年間準備をして、ちゃんと合格しようと。で、最初は相変わらず成績も悪く、塾の中で一番下のクラスでした。でも、さすがに中学の進学塾では優秀な生徒はもうすでに、中高一貫校の名門中学に進学しています。ですので、ちょっとがんばるとけっこう偏差値が上がるんですね。それで、少しずつあがっていって、中学3年生へ。

最初に受けた滑り止め感覚の高校(今は偏差値もとても上がっている)が不合格。あとは、それよりも偏差値が高いところが多いので、これはやばいという危機感。もしかしたら高校受験浪人?そこからけっこう、焦って、真剣に自分を追い込んだら、無事に第1志望と第2志望が合格。入れると思っていなかった、第1志望の立教高校へ。

立教高校に入学すると、裕福で、洗練されて、ハンサムな男子学生ばかり。男子校でした。そういったスマートな男子に囲まれると、高校1年生ぐらいだとけっこうコンプレックスを感じます。また、入学したのはよいけれども、高校では成績は最下層。立教高校の成績評価では、一番良い成績がAで、C以上が合格、それ以下は、D、Eで不合格で追試。私の場合は、高校1年生のときにCが1つのみで(体育…)、あとはすべてDとE。AやBはない。これはばやいなと、自分でも感じて、でも何してよいか分からず、焦りとストレス。このときの目標は、どうにか3年間の成績をクリアして、内部進学で立教大学へと入ること。憧れの立教大学進学。ちなみに、立教高校の先輩で、日本を代表するイギリス史研究者の君塚直隆さんは、立教高校での成績はつねに一桁で10番以内。私はつねに、500人中、400位以下ぐらい。まさに天と地の違いです。

それで、ここからが言いたいことなのです。私は高校2年生頃まで、読書をした経験がない。これは決して誇張ではなくて、はなしを盛っているわけでもなく、それなりの厚みがある活字だけの本を一冊たりとも通読したことがなかったんです。この頃までの生活は、漫画、テレビ、ゲーム、部活(スポーツ)などで占められていて、それ以外はほとんどない。活字だらけの本に対して、敵意や憎しみがあった。何が面白いんだろう。なにしろ中学の時に、ドラゴンクエストがあまりにも面白くて、やめられずに、一週間学校を休んだくらいですから。夏休みの読書感想文は、タイトルを見たイメージだけで作文を書いて、だいたいいつも最底の点数。

ですので、中学受験のときも、高校受験のときも、「慶應義塾」など、そもそも偏差値も見たことがない。雲の上の存在ですよ。なにしろ「立教高校」が挑戦校だったくらいですから。はたしてどういった人種が、慶應義塾の中学や高校、大学に合格するのか、まったく理解できない。会ったこともない。別人種? 立教高校の勉強でさえもついていけなかったのですから。

だから、いま慶應義塾大学で大学教授をして、慶應の学生に教えているという事が、ときどき不思議すぎて、よく分からなくなるんです。なんでこうなったんだろう? だからこそ、慶應義塾大学の学生の皆さんには、みんなすごいなあ、頭いいなあ、と敬意を感じているんです。これも誇張でもお世辞でもなく。自分ができなかったことができる人たちですから。基本的にみなさん、努力家です。色々な努力の仕方がありますが。そういった優秀な慶應の学生の皆さんに教えるのですから、教員であるこちらも大きな責任があるし、それだけのものを提供しないといけない。

また、人生で読書が嫌いだった時間が長いので、その実感がまだ残っていているんです。だから、学生の皆さんに読書をしろということや、勉強をしろということが、言えないんですね。読書もいいけれども、ゲームをしたりテレビを見るのも楽しいですから。

結論から言うと、私は人生でいつも楽しいことばかりしてきたんです。だから、漫画の楽しさも、ゲームの楽しさも、テレビの楽しさも、スポーツをする楽しさも、まあまあよくわかる。でも、私の場合は、研究者の世界に進んで研究をする方が、それらよりも楽しかったんです。だから、もしも今後研究がつまらなくなったら、たぶんやめます。もっと楽しいことが見つかれば、そっちに行くかも知れない。でも、なんとなく、自分には研究者の世界がいちばん向いていて、一番楽しいんだろうな、という感覚があるので、しばらくはやめないと思いますが。

さて、それでなんで高校二年生ぐらいまで成績も悪く、勉強も嫌いで、本も読まなかった生徒が、その後大学に行って大学院に進学して、学者になったのかということです。だんだん書いてきて疲れたので、また今度続きを書きます。つくづく人生ってよく分からないし、不思議なものだなあ、と思います。

(「ちょっとしたプロフィール②」につづく)



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