ワイの経歴まとめ

最近YouTubeの登録者さんが増えたので、自己紹介用にざっと書き上げておきます。

1994~2000
普通に日本(東海地方)で育つ。
未だに方言は抜けない。
とごる」って言葉を使わずに、どうやってあの現象を表現するん?

2000~2001
台湾(高雄)の日本人学校で小1~小2夏まで過ごす。
たぶん今の日本人がイメージする「台湾」とは全然違う感じ(一応)。

2001~2013
帰国。
日本の小学校で若干カルチャーショック(台湾の方がユルかった)。
大学受験では1年浪人。

2014~2016
千葉大学工学部デザイン学科進学。
さほど不満は無かった(と思う)けど、なんか刺激が欲しくて(あとカッコ付けたくて)3年次に美大編入を決意。

2016~2018
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科編入。
理由は「アウディデザイナーの和田智さんの出身だった」こと。
結局、カルチャーショックで思うように自分を出せず、最後の最後、卒業制作が評価されて初めて「美大生」になれた気がした。
結局、どちらの大学も中途半端で、「母校」と呼ぶには距離がある。

2018
無計画にフリーランス。みんなが想像するような綿密な計画があったわけじゃ無い。てか、大半のフリーランスがそんな感じだと思う。ただ、大半のフリーランスと違うのは、僕は家賃光熱費を滞納し、2枚のカードを滞納時期をズラしながら回し、もやしを食べながら、服は色落ちしたユニクロ、髪は自分で切りながら生活していたこと。

2019
オリジナル家具をスウェーデンに出展したり、コンペで入賞を繰り返すなど、若手デザイナーとしては黄金期(お金は増えなかったけど)。

2020~2022
コロナ禍に突入し、全てが崩れる(とはいえ、99%は自分のせい)。
個人活動を始めたり、YouTubeを始めたり、色々模索・種植えの時期。

2023
宣伝会議賞(キャッチコピーの賞)でグランプリを取ったり、メンバーとして参加したWemakeというビジコン的なやつで優秀賞やグランプリを立て続け取る。地獄のコロナ禍を経て少し吹っ切れたか?

また、昔作ったオリジナルプロダクトをイタリアのメディアに送ったら偶然評価され、世界販売、都内での展示も決まる。が、不景気・AIの登場・炎上カルチャーの定着で、クリエイティブ職の風向きは悪くなると判断(とはいえ、99%は自分のせい)ジョブチェンジ。

2024
最終的に現在は、
・継続するために「好きなこと」
・AIに代替されないために「属人的なこと」
ということで、YouTube(お金になるからYouTubeってだけで、別にアウトプットはなんでも良い)活動を中心に据えてます。

YouTubeも見てね!→https://www.youtube.com/channel/UCD_0fNuUy4OHLXw815ka3_w