那珂村悠一郎

どうにもいたたまれず、こうして小品を書いております。もしよろしけりゃ。

那珂村悠一郎

どうにもいたたまれず、こうして小品を書いております。もしよろしけりゃ。

最近の記事

もっちゃん

猫屋敷と呼ばれたかの家は蔦に覆われ、あらゆる種種雑多な雑草の背丈によってその全貌をすっぽりと覆われてしまっていた。手入れのされなくなった生垣や防風林として植わった伊吹、柾などが如意自在に伸び散らかり、森閑とした様子である。かつて光の疎な縁側には朽ちた枯れ井戸のような心許ない庭池があったと記憶しているが、今やその片鱗すら見当たらない。あゝたしか昔日の仄暗く濁ったこの水面には真鯉が二、三ゆらめいて、一所に静止していたのだが。今やもうその面影は何ひとつない。屋根瓦の雨にさらさ

    • 峰君について

      彼の名を、仮に、峰智洋とする。 大人たちの義務的な作為によって割り振られた小学一年の教室で私がその類稀な存在とはじめて出会した頃から、彼はすでに救いようがないほどの馬鹿者であった。 小学校低学年でどうしようもない馬鹿と成り、中学に進学し自我を突き詰めることもせずに馬鹿に拍車をかけ、高校に上がるとラジコンのような改造バイクに跨って事故ってばかりでもはや見るからに馬鹿のシンボルであった。 確乎たる、馬鹿の、すっぱ抜かれた、おつむ。それが我が愛すべき隣

      • 死骸のちひさし

        ワンスアポナタイム。 私は私の頭蓋の、歪な十字にひび割れた薄壁を小気味よくたたき、声にならぬ念仏を唱えていた。 すると、時は満ちた。瓦礫の本体らしきイメージは、一挙にして崩れ去ったのだ。 その拍子に何枚もの薄袋が破れた。中に詰まっていたポテトチップス状の何かがバラバラに弾けて四散したくらいの音が間近に聴こえ、小気味よくたたいていた木魚には、真っ黒の眼玉が二つ、ぎょろりと幻出した。 その片方の黒い隙間から洞穴を覗いてみたら、黒の奥にまた深い

        • 尺取り虫

          1.帰郷 特急列車二号車自由席後部の窓側、硬いシートの中に行儀よく収まってはいるが心地悪く、どうにも気分が落ちつかない。ほどよく車内は振動し、前後左右に脳髄が揺さぶられながら、祥平は窓の向こうにひろがる深い藍に満ちた太平洋をおぼろげに打ち眺めていた。次から次へと後方に吸い込まれて消え失せる手前側の瞬間の木々や瞬間の夏草に視界をときどき邪魔されながら、海は消失したり現れたりを暫く繰り返した。天空は清々しくもなく、かと云ってところどころは完全に曇ってもいない、ただ茫々たる

          中岡について

          中岡のことを憶う。 以前にも少し述べたが、彼は、破綻したアルコール中毒者である。 所帯を変えては妻子への責任を幾度も放棄し、愛人の巣に住みついた挙句、寵愛をうけた二親にさえ見放された悪漢である。唯一の親友に金の無心をしてしまうものだから、一方的にその縁を打ち切られ、ついには孤立無縁、自暴自棄になった放蕩者である。酒に溺れ、情欲に乱れ、そんな体たらくで、奈落へ墜落してゆく途上にある、私の旧知の友である。つまり短縮すると、こうなる。 そして言葉尻は、

          中岡について

          小林について

          小林が黒焦げになったのは、思うに果たして何年前の出来事だったろうか。容量の乏しい私の記録媒体からすれば、もう何もかもが非常に曖昧模糊で、どの場面も中途で尻切れ蜻蛉の、近くのものも遠くのものもピントのぼやけた、信用ならない古臭い代物になってしまったが、たしか、四、五年前の、季節はイカ臭い初夏の頃だったろうと思う。そう、まだ鼻を刺すようなペーソスは漂っていなかった。私の記憶が、ちょっとでも正しければの話だが。 小林は、中学二年のいつからか忘れてしまったが、共通の学習

          小林について

          林檎日記

          今日から日記を始める。私が書くべき事など何もないが、漱石だったか、夢日記とやらの、夢ばかりを綴った小説もあったくらいだから、日記には何を書いても良いのだろう。日記は土産物屋で買ってきた。 2020年8月9日、伊豆の宿にて。 晴れ。久々に日記を開いた。だけれど書く事が思う浮かばない。 今日は、つるたろうの命日である。 家はそのままにしてある。 2020年9月4日、自宅にて。 だいぶ暑さがやわらいできた今日この頃である。また日

          私には、誰にも言えない秘密がございます。 これは私の遺書のようなものになるやもしれません。私が死んだときに、もしかするとこの封筒は、綴じられたまま、誰にも見付けられることがなく、永遠に闇の中に葬られることになってしまうやもしれませんが、これは、最後の、ひとつの賭けなのでございます。こうやって気持ちをひとつひとつ字にして、私の罪を告白しておきたいのです。 私は今の年齢になるまで、自分の身が可愛くて、どうしてもこれを言い出せませんでした。私は怖くて、そして勇

          蜘蛛の部屋

          このような、疾病の引退兵の如くの隠居生活をはじめてから、もう四週間以上になる。 じっと椅子に座り、部屋の隅でただぽつねんとしていても不快な汗が額に浮き出してくる。煤だらけの網戸がカーテンを微かに吸い込んでいるが、吐かれた微風はこの貧相な身体までは届いて来れそうにない。鳴くのは雀か尾長か、或いは何の鳥か判らないが、蝉の大群や上空を飛ぶ飛行機のエンジン音がそれを掻き消してしまってからは、そのぴちぴちした囀りに耳を傾けることを止してしまった。 避けることのでき

          螢の狂い

          梅雨の迫る初夏の其の夜、村の大多数の大人たちは、ド田舎の山と山の間にある小学校運動場で施される、螢祭りの設営、準備作業に時を追われていた。 螢を養殖する館が校舎脇の荒地に柵を隔てて建てられていて、村の代表数人が持ち回りでこれを管理し、運動場の向かいの小川に毎年その幼虫をたくさん放流している。その幼虫が成虫になって川沿いをぐらぐら舞うようになるのはだいたい五月下旬くらいからで、六月初旬にはその幼稚な舞踊がピークを迎えるのだ。 螢は忽ちに狂って消える。これは

          サヴォン

          死と浄化についての話がある。聴いて欲しい。 柴田恭太郎、彼は今し方、彼を遇するものたちによって心底疲弊し、もはや捨て鉢になりつつあった。 もはや何処とも判らぬ人里離れた深い山中、敗れた野武士の心境になりて当てもなく、死にゆく魂をゆらりと先導させ、無色透明にでもなったかのような気分で如何にも茫然自失に彷徨っていた。 逆さにした剣山みたいな陽射しの放射が、幾重にも連なる青葉や梢を難無く往行する蛇へと姿を変じ、すり抜け、薄く張った脆弱な人肌を尽く刺激し