世界一周と福岡_170417_0142

旅の終わりと始まり

「俺がやりたいことって何やろう?」

全てはこの問いから始まった。
いつからこの問いに悩まされ続けてきたのだろう。

新卒で入社したメーカーは、安定を絵に描いたようなホワイト企業だった。
元々、「海外で活躍する人材になる」という漠然すぎる想いを持って、入社した。
海外出張に行き、海外駐在も経験し、周りから見たら順調そのものでしかなかった。

でも当の自分は、違和感を感じていた。
自分のいるべき場所はここではないと。
じゃあ何がやりたいかというと明確なものはない。
ただ、確かなとことは、2つある。
ひとつは、このまま『安定』を理由にこの会社にいるべきではない、自分のいるべき場所はここではないという強い想い。
もうひとつは、海外に出たいという渇望だった。

終わりの見えない旅のはじまり

海外で活躍する日本人に会いながらキャリアを再考する世界一周の旅。
答えが出るかもわからない、そんなリスクだらけの賭けに打って出た。

実際、先が決まっていない中で大企業を辞めるのにはかなりの覚悟と勇気が必要だった。

貧乏バックパッカーな自分にたくさんの人が会ってくれた。JETRO、JICA、社会起業家、オーガニック農業経営者、サンバダンサー、サッカー選手、アンデス文明研究家、ブロガー、日本語教師など、ここでは全て紹介しないが、本当に多種多様な方々の想いや活動に触れた。

世界一周後、海外で日本を発信する活動がしたいと思い、大学で留学をしていたカナダに渡った。
現地の日本文化を発信する団体で働きながらフリーランスの日本語教師としてカナダの人達に日本語を教えた。

永住も考えたが、日本への想いが強くなり、また社会課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスやNPOという分野に関心があり、日本を拠点に働くことを決めて、去年帰国した。

ただ、帰国はしたものの、その分野にコネクションも知見もない。

またゼロからのスタートだ。なんで自分はこうも移ろいやすい生き物なんだろうか。

退職、世界一周、カナダ、帰国というイベントを短期間でこなして来た自分は精神的に疲弊していた。

こんな生活はもう続けたくない。

そんな状況で、ある決意をした。

一年かけて、自分が取り組みたいことを決める。

金銭的にも一年が限界。年後にはすっからかんになる。

もし決まらなかったから適当なところに、条件を見て、就職する。

もうやりたいことがどうとか無視して、自分のスキルを使って、働けるところに行く。自分に妥協する。

そう決意して、NPOの中間支援をするNPOに一年契約で働くことにした。

また、NPO未来ラボというオンラインサロンに入り、勉強することにした。

自分は何をしたいのか考え続ける。
本当に俺のやりたいことなんてあるのか?やりたいことをお金に変えれる仕事なんてあるのか?NPOに俺の求めるものがあるのか?

苦しかった。
30歳でやりたいことを探してる自分に嫌気が差すときも多々あった。
活躍してる人が眩しくて、若い内からやりたい方に一直線で進む人達を見るのも辛かった。
迷いをかき消すように色んなところに顔を出した。色んなことに取り組んだ。止まってしまうことが怖かった。それでも動く度に『何がしたいのか決まったのか?』という問いが浮かんで、頭と胸が痛くなる。

悩み抜いた末に辿り着いた光

転職先を本格的に検討し始めた、そんな時にあるNPOが目に止まった。そこは、自分が世界一周中に読んだ本の著者が代表を務めるソーシャルベンチャー。その方の本をタイのバンコクにある一泊500円のボロ宿で読みふけり、心が熱くなった2年前の1月を思い出した。

自分のやりたいことはここにしかない。ここしかない。

勤務地は、大阪ではなく東京だった。
正直東京に住みたいと思ったことは人生で一度もなく、何やったら少し敬遠をしていた。
自分は関西に生まれ育って、関西でこれからも暮らしていきたいと思っていたから。
それでも、やりたいことは東京にしかない。仲間の後押しもあって、選考を受けることにした。
もし、ここが落ちたとしたら、他に行きたいところはなかった。もうここがダメだったら、好きなことがどうとか、自分のやりたいことがどうとか、そんなことは言わずに、自分のできることで、ちゃんとお金が稼げる妥協の転職をするつもりだった。
2年間、考え、悩み続けて来た自分との決着。

11月、選考を受け始める。熱意は誰よりもあるし、自分の過去の経験も活かせる。自信はあった。2年間悩んで来たおかげで、自分のことをしっかりと語れる。

でもこれがもし落ちたらどうしようという不安は常に襲ってくる。

自信と不安。

面接では緊張しない自分もさすがに緊張した。

メーカーを辞めて、世界一周バックパッカーをして、カナダに行って、つい最近日本に帰って来た、そんなわけのわからない人間を雇ってくれるのだろうか?キャリアに一貫性など皆無だ。

面接で東京に足を運んだ。東京に行っても誰にも会わなかった。いや、会えなかった。面接の出来が悪かったらめちゃめちゃ落ち込む自分が目に見えていたから。

精神的にも肉体的にもタフな11月、12月だった。


旅の終わりと始まり

内定をもらった。

「内定」を言い渡されてから何を話したのかはあんまり覚えていない。

2年間、悩みもがき続けた。
常に心に何かつっかえたものがあった。
心が本当の意味で安らいだことなんて無かった。
それから解放された安堵感。
夢なんじゃないかと何度も思った。
翌朝、目を覚ました時に、昨晩友人達からもらった「内定おめでとう」のメッセージを改めて見て、現実だったとほっとした。

2年前に始まった旅が終わりを告げる。
名古屋から始まり、世界一周、カナダ、神戸へと舞台は移り、東京で終止符を打った。

4月から東京で新たな旅を始める。
自分は来週31歳になる。
31歳の東京デビュー。
遅れて来たオールドルーキー。目一杯楽しもうと思う。

読んで頂いた通り、文才は無い。
かっこいい締め方もわからない。
語彙力もない。そのくせに文章の見直しはしていない。

Face to Faceのコミュ力だけで生きて来たのでご容赦頂きたい。

本当はこんなに悩んでしんどかった、かっこ悪いこと書きたくなかったけど、自分が苦しんだ経験が同じように悩む誰かの為になるならと、羽田から神戸へ向かう飛行機の中で書いた。

ベタに締めよう。

今悩める人に伝えたい。
特に十代や二十代の人へ。
三十一歳になるまで自分の進路に悩んだ人間がここにいるから安心して、悩んでくれ。絶望してくれ。

誰もあなたの人生を決めてくれない。正解も人生には無い。自分が選んだ道を正解にしていくしかない。自分は、この2年間、正解だったと思っている。だから今苦しいあなたも正解になるから。大丈夫。

読んでくれて、ありがとう。

ユウイチ(@yuichiho)

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