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とにかく撮る

去年の夏に Fujifilm の X-T20 を買ったものの、夏の間は仕事で富士山にこもりきりだったので、ほとんど使う機会がないまま秋になり、秋になってもちょっとどこかへ出かけた時にぼちぼち撮る程度で、カメラを買った意味は ? な状態だった。

そんな折、なにかのきっかけで写真家・ワタナベアニさんの 有料note を購読するようになり、毎回グサグサ刺さるような言葉に刺激され写真を撮るモチベーションが一気に上がった。

以下、色んな note から引用。

その時に「カメラを持っている」ことです。カメラがなければ撮れませんから。何が起きても撮れるようにいつでもカメラを持ち歩く。どうでもいいようなモノもできるだけ撮ってみる。そうすると写真は上達します。大きなイベントとか旅行などではない日常でも、いい写真は撮れるのです。

一日中、何かを撮ってやろうと野生動物みたいに目をギラギラさせます。目的地はどこでもいいです。事前に何かありそうな場所をググったりせず、たとえば知らない駅で降り、そこを迷子の外国人観光客のように新鮮な目で見て、ピンとくるモノがあれば撮影しましょう。

写るべきモノの枠を外すことが近道です。興味がなくても、まずは風景でも、昆虫でも、キハ110でも、フェラーリでも、女子高生でも何でも撮る。その「何でも撮った」写真に何かの一貫性や共通性があれば、それが写真を撮る人の個性になるんじゃないかと思っています。それが理解できればまた好きなモノだけを写す作業に戻っても構いません。

写真表現は客体が必要ではあるけれど主体が優先されるはずなので、被写体にしか重要度がないモノは必然的に収集カタログになってしまうのです。

写真を勉強していますという人が「週末はモデルを連れてどこかに行って作品撮りをします」とか言うのを聞くといつも不思議に思う。週休五日で能力は向上しないんじゃないかと。

「ヴァイオリンを買って数ヶ月後にベルリン・フィルに入るのは不可能だ」「バットとグローブを買ったからヤンキースに入団したいというのはムリだ」と誰もがわかっているはずなのに、写真だとまったく同じ内容のことを平気で言ってしまう。恐ろしいです。

「自分にとって」いい写真、好きな写真を撮り続けるのみです。そうしているうちにいつか「他人からの反応」が返ってきます。ずっと焼肉なのか、数百万円なのかは知らん。でも数百万円払ってもこの人に撮ってもらいたい、というのはお金の問題じゃなくて、能力の客観評価です。

週末に紅葉が綺麗な渓谷に行ってモデルを立たせなくても写真は撮れる。それは舞台が整っているから写ったように感じるだけで、そこに頼っていると白バックしかないスタジオでいい写真が撮れなくなっちゃうよ。

まだまだ幾らでも名言を引っ張ってこれるけど、やり過ぎると引用の域を超えてしまうので、気になる方はアニさんの note を。

写真の部屋

まずはとにかく撮らなきゃという気にさせられ、去年の晩秋の頃から、最低でも 1日 100枚、多い日は 1000枚近く撮るようになった。

上達しているかはわからないけど、とりあえずカメラの使い方には慣れてきた。それだけでも収穫は大。

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