筑波大学の授業にもぐってみた

先日、筑波大学に向かった。
ミッションは、落合陽一さんの授業にもぐりこむこと。

目当ての授業は、どうやら学部1年生対象だったらしい。
落合先生が「1年生の人〜」と呼びかけると、周りの学生が全員手を挙げた。
その中に、ひとり紛れる大学5年生の異物感。しかも、他大学。

「もぐる」という行為に背徳感と高揚を感じつつ、素知らぬ顔で席につく。
(教室は何百人も収容できるホールだったので、100%ばれない)

ふいにカメラを向けてくる落合さんを、こちらもカメラで撮影しつつ、
授業がはじまった。

当日の授業内容は、3点のテーマに集約されていた。

・三次元空間での情報伝達
・分散化社会への移行
・メディアアート 「侘然」

・三次元空間での情報伝達

落合さんの専門は、ホログラフィーという分野。
ホログラフィーとは、「波の干渉を計算して、三次元にある物体の像を再生する技術」のこと。

今までのメディア装置は、視聴覚で感知する二次元のフレームに収まっている。
例えば、新聞、テレビ、スマホ、プロジェクターなど。

最近の研究テーマは、「どうやったら三次元空間に情報を出せるのか?」。

落合さんは、イルカを例に説明する。

イルカは「エコロケーション」という方法で、お互いに情報交換を行っている。
超音波を発し、音の反響で物体との位置と距離を把握する。
しかも、受け取った情報を超音波に乗せて、そのまま仲間に伝えられるらしい。

イルカは、音(という波)を介して、立体的に情報を把握している。
それに対して、人類は情報を伝えるために、一旦二次元(絵・映像・言葉)に落としこんでいる。

テクノロジーを使えば、人間もイルカのように、二次元に変換することなく、情報を空間に直接出力できるのではないか?

落合さんは、電波・電子系統・5Gネットワークで将来、実現可能だと語る。

耳で聞いたことを絵で表現する、目で見たものを口に出す。
「ひとつの感覚で受け取った波を、別の感覚へと変換する過程」を深層学習を使って解き、人間の情報伝達のアップデートを試みている。


・分散化社会への移行

落合さんは、「人口減少が進む日本は、分散化社会へ移行していく」と説く。

分散化社会とは、「集団における決定権が分散している、または全員がその役割を担う非中央集権的社会システム」のこと。

最も悲観的な予測では、日本の人口は、2110年には4200万人まで落ち込む。
南関東に人が集中して、他の地域にはほとんど人がいなくなる。

今までは、中央から末端へとリソースを分配していた。
しかし、過疎地域では、資源供給から得られる利益よりも維持コストが上回り、末端への分配をやめざるを得なくなる。すると、中央からの分配がなくなった地域では、自分たちの周辺でリソースを賄わないといけない。

例えば、電気の送電網を介して、中央の発電所から末端の過疎地域へ電気を供給できなくなるとする。その時、各家庭が太陽光発電を行い、足りない分は独自の仮想通貨を使い、家庭間で電力を取引するなどの新しい仕組みを築く必要がある。

人口が減少すると、中央集権では社会全体が維持できなくなり、必然的にコミュニティは分散化する。

人口減少の課題に有効なアプローチは次の2つ。

1.テクノロジー/インフラを整え、人口減少に耐える社会を構築する
2.移民を大量に受け入れて、人口の減少を阻止する

以上の2つの方法のグラデーションで、問題解決する必要がある。
人口減少問題の全てを移民で解決することは難しい。
だから、新しいテクノロジーを開発して、社会システムを変えることが急務になる。

20世紀以前の社会は、メディア装置が映像に偏っていた。
全員が同じ光を見て、同じ音を聞いてきた。
しかし、これからは個別に合わせた情報を与えられるようになる。

視力の弱さに関係なく、網膜投影でディスプレイを鮮明に映し出せる。
耳の聞こえない人に、光と振動で音を伝えられる。
超指向性スピーカーを用いて、ある人の耳には英語の音声、隣の人の耳には日本語の音声を届けられる。

テクノロジーを使って、中央集権に頼らず、個別に問題を解いていける未来になるはずだ。

・メディアアート   「侘然」の概念
最後の3分間ほど、メディアアートの話にも触れていた。

興味深かったのは、日本的な美意識である「侘然(わびさび)」の概念について。

「侘然」は、茶の湯、日本庭園など伝統的な日本文化だけにあるのではない。
普段から工業製品に見慣れている者にとって、コンクリートの壁、トタン屋根はもはや新しい「自然」と感じられる。

工業社会以後の「侘然(わびさび)」は、どんなものに感じられるのか?

「侘び」とは、だんだんと朽ちて壊れてゆく、もの寂しいさま。
  例えば、古くなってひび割れた、コンクリートの壁。

「然び」とは、徐々に内側から本質が表出する、奥深いさま。
例えば、自然と苔がむしてきて、手入れされた石垣。



つまり、
「侘然」とは、 時を経て、刻まれる不完全さに感じる美
と捉えられる。

時の流れを経て、壊れて錆びてゆきながらも、人の手を入れて保っているものに「侘然」を感じられる。

落合さんの個展の作品を、「侘然」の視点からみると、新たな発見があって面白いかもしれない。

・デジタルネイチャーにおける「実体験」の意味は?
質問コーナーの最後に、落合さんがさらりと放った言葉が、心に突き刺さった。

”イルカはあれだけコミュニケーションしてるのに、構造物は何も作ってないんだよね。海は快適だし、常にインターネットにつながってるから。
デジタルネイチャーが実現したら、モノを作らない人類が増えるのは間違いない。
人類総イルカ化してしまったら、責任は取れないけど、一緒にイルカになって楽しもうぜ。”

これって、もしかして
「実質と物質の区別がない世界になったら、人間は実体験を求めるモチベーションを失ってしまうかもしれない」ってことだろうか。

とても衝撃的だった。

たしかに、今だって観光地に実際に行かなくても、写真や映像で見て十分満足できる。デジタルネイチャーが到来したら、実体験と仮想現実の差はほとんどなくなるだろう。

でも...と思ってしまう。

実際に旅に出なかったら、目的地に行く道中での余計なことなんて起こらないじゃないだろうか?

それって、実体験の本質のほとんどが失われてる。

道中で起こる苦難を乗り越えること、偶然の出会いを遂げること、予想外のハプニングに出会うこと。本来の目的ではない、どうでもいいことが楽しいんだ、と私は思う。

仮想現実ですべての欲が満たされる人生って、案外つまんないかもしれない。
だから、近い未来にデジタルネイチャーが訪れたとしても、生身の体験を大事にしたい。

自分の想像を超える経験をしてこそ、生きてる実感が得られるでしょ?

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よしざき

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