@iwatiger

2013年の10月から、都内数社のベンチャーで働かせていただきました。 今は、港区のI…

@iwatiger

2013年の10月から、都内数社のベンチャーで働かせていただきました。 今は、港区のITベンチャーでサービス開発・セールスをやっています。これまで、いくつかのサービスが実際にお客様に提供されました。

マガジン

  • 都心でマイカー部

    「東京で車を持とう」をコンセプトに、ドライブスポット・撮影スポットのご紹介や、マイカー維持の秘訣、グッズなどをご紹介していきます!

  • 極まるラーメン愛

    首都圏を中心に、絶品ラーメンをおすすめしていきたいと思います。

  • 自分のnote

最近の記事

自分のブログをnoteにも掲載してみることにしましたが、どうなるんでしょうか。

noteを更新するのはとっても久々です。 上の写真は東京メトロ銀座線「末広町駅」です。秋葉原駅に行くのが乗り換え的に面倒なルートの時は、こちらの駅を利用した方が早い、ということが少なくないです。あまり知られていないかも?銀座線は、ホームも車両もとっても綺麗になりましたね。(赤坂見附周辺を中心に常に混雑はしていますが...) 最近、はてなブログの方には頻繁に投稿をしているので、折角ならnoteの方にも何かコンテンツを載せたいと思ったのですが、ひとまずブログの記事を転載するの

    • 『情報社会の〈哲学〉: グーグル・ビッグデータ・人工知能』の読破したみが物凄い件

      何としても読破したい。 その動機は、ただ難しい本が読めるかというチャレンジではない。 少なくとも一生ネットワークメディアという地平の上で商売をやらなきゃいけない世代にとって、このような学術的知見に立脚した「正しく深い」メディア論は、実際に僕たちに洞察を与えてくれるという実感があるからだ。 この本を読み通し、もし理解ができれば、マスメディアが「どのように」終焉を迎えたのか、ネットワークメディア(著者はこう呼ぶ)が「どのように」私たちの身体性、精神、及び"社会の表情"に影響

      • 自動翻訳だらけの桃太郎(あらすじ)

        ※日本むかしばなしをGoogle翻訳で英訳し、英語化されたテキストを和訳した結果がものすごい鬼だったので、ここにご紹介したいと思います。 (引用: http://arasujikun.com/archives/14 ) かつて、祖父とおばあちゃんがやってきました。 老人は山に足を運び、老婆は洗濯のために川に行きました。 老人が川で洗うと、大きな桃が川の上から降りてきた。 その老婦人は桃の家を持ち帰った。 私が桃を食べるのを壊したとき、健康な少年が桃から飛び出しまし

        • 自動翻訳だらけの桃太郎

          ※青空文庫の日本昔話をGoogle翻訳で英訳し、英語化されたテキストを和訳した結果がもの凄く鬼だったので、ここにご紹介したいと思います。 (引用: http://www.aozora.gr.jp/cards/000329/files/18376_12100.html ) 桃太郎 楠山正雄 +目次 1 かつて、ある場所に老人と老人がいました。私の祖父は毎日山に切り、私の祖母は衣服を洗うために川に行った。 ある日、おばあちゃんは川のそばで洗濯をしています。上流の川上か

        自分のブログをnoteにも掲載してみることにしましたが、どうなるんでしょうか。

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        記事

          2015年5月2日のツイッターメモ

          どう考えても「プライド」という感情は不必要だと思う。 いつも成功談やらなんやらが本やらネットやらで「逆説的に報告される」から(ここ重要だと思う)大半の人が間違えてしまう部分で、 なにか素直な自分の熱で、なにか素直に自分から湧いたモノを追求するからこそ、「結果として」やってきたことに自信も湧くし、認められるし、金やら信頼やらそういう「対外的な」価値がやって来るんだと思う(自戒)。 自信とプライドは絶対に履き違えてはならないと思う。 自分なりの全力で、やってきたことに自信

          2015年5月2日のツイッターメモ

          (生存本能的な機能として)物事をネガティブに捉える瞬間

          自分は結局のところ「自分勝手で我儘な、けれど自分を後悔させない人生」を送るしかないということを知る。 人間同士、はからずも(あるいは至極合理的に)傷つけ合ってせめぎ合って生きていくしかないということを知る。悲しくてつらい。 とはいえ、自分も少なからずその変えられない構造の一派であるという自覚もある。 とは言え勿論この道を絶つ勇気はない(事実この歳までのうのうと生きているわけで)。 …こんな心持ちを何処に持って行けるというのか。 なんて考えてたらもう朝でした。

          (生存本能的な機能として)物事をネガティブに捉える瞬間

          田舎生まれ上京組の僕が、大学受験期において「田舎住まいであること」がメリットだと思う理由

          大学の期末試験の勉強をしているときにふと思ったこと。 「東京に生まれてたら自分の場合、大学の受験勉強してなかったかもな」 ↑これ。 高校生が勉強するモチベーションを高める上で、「田舎生まれ田舎住まい」であることは意外に大事なことかもしれない。 東京出身の友人と話しているとよく思うが、東京及びその近郊に住んでいる人は、早くから「東京ってこんなもん」っていう認識が早くから持てている。「東京という名の『夢の国』」幻想を良くも悪くも抱いていない。 一方で田舎暮らしの高校生は

          田舎生まれ上京組の僕が、大学受験期において「田舎住まいであること」がメリットだと思う理由

          『おたくはすでに死んでいる』(新潮新書)を読んで、なぜ死んだのか原因を考察してみた

           筆者の岡田斗司夫氏はこの本の中で、「現在オタクというジャンルの人間はいなくしまったのではないか」と指摘した上で、今のオタクと昔のオタクについての相違点を以下のように語っている。 ・ 昔は「ジャンルは違えど俺たちはオタク」という共通意識があった。 ・ 昔は異なるジャンルの住民同士が「お前らはオタクじゃない」などと言い争う場面がなく、仲間意識の共有があるのみだった。今は「萌えを分からない人間はオタクじゃない」などと簡単に「オタク」クラスタから排斥される場面がある。 ・ 昔

          『おたくはすでに死んでいる』(新潮新書)を読んで、なぜ死んだのか原因を考察してみた

          哲学の授業を通して学んだ「相対性」とそれに基づく「行動理念」

          哲学を勉強し始めた時、自分は一つの大きな危惧を抱くようになっていた。それは、自分が意見の一つも持てなくなるのではないかという危惧だ。 なぜなら、紀元前という遥か昔から頭のいい哲学者が知恵を捻って物事の正しさや方向性や価値を推し量り止揚を続けてきた歴史を見るにつけ、正しさの相対性について実感するようになって、もはや自分など1つの意見も持つ必要がない(べきではない)と感じるようになってしまったからだ。 しかし後半になってだんだんと気付いてきた。大々的に意見を言っている人は、そ

          哲学の授業を通して学んだ「相対性」とそれに基づく「行動理念」

          髪の毛に紫の要素を加えるバイオレットシャンプー。

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          リニア中央新幹線は国民にとって【第二の福島原発】である

          皆様は「リニア中央新幹線」に どういったイメージをお持ちだろうか? 大阪出張が捗る! USJ、ディズニーに気軽に遊びに行けるようになる! 通過する地方が発展する! …先進国日本がもっと発展する! きっとこうしたイメージをお持ちであろう。 かくいう私もそうだった。 しかし実は、リニア中央新幹線はいくつもの疑惑を孕んでいる。 いくつもの問題を時速500km超のスピードで無視しているのだ。 そして問題の構図は原発推進の構図とリンクしている。 そのいくつかを紹介したい。 1

          リニア中央新幹線は国民にとって【第二の福島原発】である

          大学のとある講義でPCでのノート取りを禁止されたので反対意見を書きます。

          「後期の授業は電子デバイスでのノート取りを禁止します。」 それはとある大学の後期のとある講義の第一講の冒頭、 担当講師から学生全員に対して突然告げられた。 「前期のテストの最中に、手元でスマートフォンを使いラインをしている者がいた。こういう事が起こると電子デバイスを禁止せざるを得ない」 ということだった。 僕はすぐにノートパソコンを閉じ、メモ帳とボールペンを鞄から取り出した。 そして腹が立った。なぜ他人の「テスト中のスマホ」が原因で 「自分の選んだ方法でノートを取る

          大学のとある講義でPCでのノート取りを禁止されたので反対意見を書きます。

          -【復興】という言葉には嘘がある。-

          ※以下は個人的な意見です。  9月に行った被災地取材を振り返った時の、「除染」に対する私の考えを述べたい。  「除染」と呼ばれているものは、居住エリア全体の地表を剥がして、住宅を雑巾で1つ1つ拭いて、放射性廃棄物を「移動」させる作業のことである。「汚染」を「取り除け」たりなどしていない。住宅を1つ1つ丁寧に除染したところで、何年も人の手が入っていない建物に再び住む事は実現可能性が低い。  被災地では、農家として生活していたお年寄りは、一から土地を耕す事に絶望している。原

          -【復興】という言葉には嘘がある。-