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おしゃれとの距離感

最近、洋服や靴などのいわゆる「服飾品」を買っていない。

ここのところ、いいなと思う洋服に出逢いにいくことや、こんな靴ほしいかもってリサーチすることから遠ざかっていた。

いつからだろう?
大きい区切りはコロナ禍になってから。
どんなにときめく洋服を買っても、それに見合うお出かけの予定が立たなかった。
結婚して、お財布が自分のものだけじゃなくなったことも大きい。共働きなんだから、2人で暮らしていく分には自由に使えるじゃんって思ってたけど、その先何十年と続く生活を思うと、オシャレの優先順位はぐんぐん下がっていく。一緒に暮らしている手前、出かけるときにわざわざ着飾ることをしなくなった。デート服、という存在が消えた。
私服勤務の会社に勤めたら、日々お洒落に着飾るものかと思っていた。でもいざ勤めてみたら、仕事に差し障らない、使い勝手がいい服の出番ばかりが増える。

そうしていつしか、とびきりのトキメキをくれるかどうかではなく、ダサくはないし嫌いでもなくて汎用性が高いかどうか、という観点で洋服や靴を手にとるようになっていた。

ある程度パターン化された私服のレパートリーたちのおかげで、コーディネートにかかる時間は格段に減った。そのおかげで、より重要な判断ができているなんてビジネス書は言うのだろうけど。なんだかなぁ。

昔はしょっちゅうブランドの服を買ったり、古着を買ったりしていた。
コーディネートに納得いかないときは、一日中ブルーだったり。
いつだって頭の中には憧れの着こなしがあって、
手持ちのワードローブじゃ、いつもちょっと足りなくて。
おしゃれに飢えていて、強欲で、楽しかった。

制服を卒業して、長い時間を経て、
自分の着こなしに慣れてきただけかもしれない。
でもその慣れが知らず知らずのうちに日々の潤いを奪っていたみたいだ。すっかり忘れてた。

最近久しぶりに、欲しい!と思う靴に出会った。
ショップページやインスタを見てニヤニヤと浮かれていたのも束の間、3日後には熱がすっと引いていることに気づいてしまう。

久しぶりにおしゃれのトキメキに出会えた!と浮かれていたから、余計ショックで。
でもなんでこんなにショックなんだろう、と深掘りした結果をつらつら書いてみました。

あの頃みたいにおしゃれにギラつきたい気もするけれど、今は人間関係でいう「距離を置く期間」なのかもしれないですね。


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