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平等じゃないわたしへのプレゼント

人間ってみんな平等じゃないけど、みんな平等にもってる「名前」のことを考えてみた。

名前って、特別だ。

よく本なんかで、「名前は両親からの最初のプレゼント」とかっていわれるけど、本人が喜べばプレゼントだけどそうじゃなかったらいい迷惑だ。

平成の終わり頃から「キラキラネーム」の子が目立つようになってきたけど、あれは本人からしたらどちらのプレゼントなのか。

どうして名前は、自分の意志で決められないんだろう。

生まれてから数年は自分で決めることはむずかしい、だから親が決めるってことなんだと思うけど、

そしたら、最初は親が決めて、(仮)ってことに、しちゃだめなのかな?

たとえば、わたしの名前は、「ゆい(仮)」です。とか。

それで、自分で決められるようになったら新しい名前にしてもいいし、単に(仮)を外した名前でもいい。

数年前、ニュースで「王子様(おうじさま)」くんっていう男の子が改名した話を聞いた。

改名した当時の彼の年齢は、確か20歳を超えていたはず。

自分の名前が嫌だったと話していたが、だとしたら、20年間も、その名前を名乗ってきたことになる。

本人がよければ他人は口出すことじゃないけど、本人が嫌だといってるんだから、それは拷問だ。

親に悪気はなかったんだろうけど、本人はつらい思いをしてるわけだし、どうなんだろうなって、思ってしまう。

一方で、わたしはというと、自分の名前がけっこう好きだったりする。キラキラネームではないし、かといって古風でもない、ふつうの名前。

あと、なにより自分の名前の漢字が好きだったりする。

この名前にこめられた思いが、たまらなく好きだ。

だから、「名前(仮)」制度ができたとしても、わたしは(仮)を外すだけで、新しく名前はつけないと思う。

でも、みんながそうなわけではないと思うから、こういう制度をつくるのもアリかなって。

本物の「自由」って、選択できることだと思う。

「この範囲の中で自由にしていいよ」っていうのは、「この範囲」っていう制限がある時点で自由ではない。

みんなが仲良く暮らすために、たしかにルールは必要だけれど、これからの時代には、新しいルールが必要だと思う。

名前って、とっても大切なものだし、自分に一生ついて回るものだから、自分のこどもに名前をつけるときには、ちゃんと悩みたいな。

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