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観察で得られる癒し

どうしてみんな自分のことを考えないんだろう。第三者のことについて感じたことを書くのは書きやすいし、話題になっているテーマであれば多くの人に読まれるかもしれない。たくさん読まれることで承認欲求が満たされ、それを目的とするのであれば良いが、大抵の場合はそこまで深く考えずに数を追いかけているだけのように見える。それぞれの文章をじっくり観察したわけじゃないから本当のところは分からない。一般的な話として聞き流してほしい。これからボクはお菓子の話を書く。

ボクの机の上には、ジャイアントカプリコのミルク味がある。水色のパッケージには、てっぺんの白色チョコを少し齧った状態の写真が印刷されている。白色チョコの奥には、茶色チョコが顔を出している。このパッケージを見てもボクはちっとも美味しそうだと感じなかった。なぜだろう? 10本入りの小さなカプリコを晩ごはんを食べた後、冷蔵庫から取り出して食べることがあるけど、普通に美味しい。大体5、6口で食べられるサイズで、甘すぎずサクッとした食感がおもしろい。さらに食べるだけでなく、個包装のパッケージでカプリコクイズも楽しめ、カプリコ3兄弟のいろんな情報を提供してくれる。たとえば、「カプリコ兄弟の3男の性格は?」といったクイズが書かれている。ちなみに答えは「甘えんぼう」だ。ひとりじゃ寝られないというエピソードも添えられている。実にかわいい。

ジャイアントカプリコには、カプリコクイズがない。食べるだけだから関係ないことだと思っていたけど、ボクはカプリコを食べるときはカプリコクイズを楽しみにしていたようだ。まさかそれが食欲にまで影響を及ぼすとは思わなかった。子どもたちと問題を出し合うあの時間を過ごしたい。冷蔵庫の在庫が切れてしまったときは、徒歩で往復15分も掛けて最寄りのスーパーまで買いに行ってしまうくらいだ。自転車に乗ると開かずの踏切に引っかかってしまうから、高架を渡れる徒歩の方がストレスが少ない。ミニカプリコの箱が大きくて3箱買ったらリュックに入らなそうだったので、5円のLサイズの袋を買って入れたら、パッケージが透けていた。すれ違う人に見せるように帰ったこともある。「透けカプ」だ。どうして透けているものを見ると、少し嬉しくなるのだろう。透明で全部見えているよりも、ベールに包まれているものに魅力を感じる。見せない美学。あまり綺麗な文字の並びじゃなかったから、案の定検索してもそんなタイトルの本は存在していなかった。

ところで、ボクが丸見えだと思っているものは、本当に丸見えと呼べるのだろうか。ジャイアントカプリコのパッケージを破って出てくるコーンの状態が丸見えだと思っていたけれど、本当は中のチョコが露わになった状態が丸見えではないのか。少し齧った状態の写真はそれを示唆しており、28度以下厳守の注記は、溶けて本来の姿を楽しめなくなることを危惧しているのではなかろうか。あけくちに描かれたカプじろうの顔は、表面の白色チョコの奥側にあるように見える。茶色で描かれた手足は、コーンの奥側から出ていることからも、コーンの奥に裸のカプじろうが存在していると言えそうだ。お菓子のパッケージは奥が深い。

丸見えだと思っても改めてじっくり観察してみると、実はそうではないかもしれないことが身の回りには他にもたくさん潜んでいそうだ。暇つぶしにはなるが、本当に無駄でしかないのであまりオススメはできない。だが、なんでも簡単に答えを求めようとする社会に疲れた時の癒しを求める手段の一つとして試す価値はあるかもしれない。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!