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好きな写真について #32

ボクがショア様の写真に憧れるようになってから、まだ5年くらいしか経っていません。だから読者の皆さまの中には、「ショア様??」という方もいらっしゃるだろうから、まずはこの写真集を読んでみてください。

本当にその辺の風景や、知り合いを撮っているような写真ばかりで、「刺激が少ないなぁ」という感想をもたれる方もいると思います。ボクはその刺激の少なさに惹かれ、同じように撮りたいと思える写真がたくさんありました。それまでのボクはSNSで1、2秒しか見てもらえない環境で如何にして興味を引くかばかりに意識を奪われ、自分を見失っていました。

自分を見失い、夜の新世界を彷徨っていた頃

ショア様はそんなボクに "Wake up!!!"と往復ビンタを1万発くらいしてくれました。頬がマンガのように腫れ上がっていたかもしれないけど、その瞬間から撮れる写真が変化することなんてありません。どうしたらショア様のように存在と向き合えるんだろうと、ただ歩く時間が増えました。カメラを持っているから気になる風景は撮っていたけど、これじゃない感がずっと付き纏っていて、「どうしてそうまでしてボクは写真を撮ろうとするのだろう?」という永遠のテーマを考え始めたのもこの頃だった気がします。

転機はFUJIFILM X100Vを手にしたことでした。レンズは変えられないけど、撮影していて楽しいという感覚を久しぶりに味わえたことを喜び、毎日カメラを触っていました。上部のアルミ削り出し部分を指先で一周キュルンと触るのが好きです。

FUJIFILM X100Vが世界を広げてくれた
「この風景は投稿しても伸びない、だから撮らない」という思考がどんどん消えていくことが快感で、自分を取り戻せているようで本当に嬉しかった。

ボクは写真をもっと好きになれると思った。見てくれる人のことより、自分の心が動いた風景を残すようになり、見返したときに「疲れないこと」を無意識に判断しながらシャッターを切っている気がする。通天閣のギラギラした写真は、観光用としては良いと思うけれど、安らぎを与えるような写真がこれからは広報にも求められるのではないだろうか。そんな気がしている。今はまだ時代が追いついていないけど、写真を撮る人は気づいているだろうし、見る人が求める写真も自身との関係性を重視する日が近づいてくるかもしれません。

人は好き嫌いを判断するまでに多くの時間を必要としない。第一印象で判断できてしまうし、その判断はほとんどの場合正しいことが経験的に多い。だから、ファインダーを覗く僅かな時間に好きが詰まっているだけで幸せになる。

ショア様の影響で、駐車場を見つけると写真を撮るようになった。

もっとカラフルな車が駐車している風景には、いつ出会えるんだろう。そんなことを考えながら、暖かくなってきた風を感じながら歩けることが嬉しい。ショア様が好きな人と一緒に散歩して、駐車場を見つけるたびに「まぁそう簡単に出会えないよね」みたいなお話もできたらいいなと思う。

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