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好きな写真について #24

昨年、12月23日から「好きな写真について」というタイトルでnoteを書いてきた。不定期更新ではあるが、これで24本目。毎日note更新の合間に、写真について感じたことを残したいと思ったときに書くことが多い。写真を撮ったり、見たりした後に、考える時間を確保できたとき、なんとなく残しておこうと思うと、前回の記事を検索し末尾の番号を打つ。ちなみに前回を振り返ってみると、「いままで気にしたことのなかった存在に気付いた写真」が好きだと書いてある。

街は生き物だから当然だろと思うけれど、そのときそう感じたことは大切にしてあげたい。書くことは未来の自分に考えるキッカケを与える。こんなことを書いて馬鹿だと思われたら恥ずかしいなんて思わなくていい。書きたいけど書けない人がもしこのnoteを読んでいたら、一度で書いて公開してみて欲しい。それでもっと書いてみようと思えば続ければいいし、なんか違うなと思えば手書きのノートに言葉を少しずつ書き溜めるのもいいかもしれない。言葉は一生付き合うものだから、大切にすればするほど、ボクは幸せになれると信じている。本屋さんで平積みされた本を順番に見ていると、「このタイトルはどれくらいの人を騙そうとしているのか?」と感じることもあったけれど、その本を必要とする人は必ず世界のどこかにいるはずで、ボクに合わなかったと考えるようになると気持ちが楽になった。何かを否定するときのストレスが苦手だ。写真も同じだ。

苦手な写真を見たとき、少なくともこの写真を公開した人がセレクトした事実に偽りはない。その写真をどう感じるかはボクの個性であり、個性は人それぞれ異なる。同じであることはない。苦手だからといって避けるのではなく、受け止めてからそっと置く。すると、自分の中に新しい価値観が育つことがある。子どもの頃、苦手だった食べ物が大人になれば食べられるようになり、好物にまでなってしまうことがあるように。写真にもその可能性がある。

「苦手な写真」があったとしても、いつかそれが「好きな写真」に変わるかもしれない。たとえば、これから5枚の写真を掲載します。

好き、嫌い、なんとも思わない。人の数だけ感じ方は存在します。どんな風に好きとか、ここが嫌いとか、どれだけ見てもそこに物が写ってること以外なんとも思わないとか。もし、写真を見たときに頭の中で少しでも言葉が生まれていたら、それらを大切にしてあげてください。好きなものは、分野が違っても繋がっている部分が必ずあるのだから。

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