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やさしい写真が撮りたい

こんにちは、平井です。

同年代の写真友達が近くに居なくて、ストーリーズで深夜に「突然ですが、明日一緒に撮りに行きませんか?」と告知しても誰からも返事は届かない。最初から結果は分かっているけど、わずかな期待が目覚めたときの寂しさを少しだけ大きくする。それでもカメラを持って一人で外へ出れば、寂しさを忘れ目の前に広がる景色に意識が奪われる。なんて美しいんだ。何度も歩いた場所だけど、訪れるたびにまだこんなところがあったのかと気付かせてくれる。その度ボクがここにいることを許されているような気持ちになる。街で写真を撮ることは、街を歩く他の人にとっては時に嫌悪感を抱かれる行為である。それゆえ、ひっそりと咲く雑草や、光に照らされている場所を見つけると嬉しくなり、「ちゃんと気付いたよ」と頭の中で彼らに伝える。言葉を交わすことはないけれど、気持ちは通じたようなそんな瞬間を求めて今日も写真を撮る。

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たくさんの人に写真を見てもらいたい。写真展やSNSで写真を公開している人のほとんどはそういう気持ちだと思う。ボクもそうだ。似たような写真が溢れる中で、誰が撮った写真であるかに目が行くのは当然のこと。絵画も贋作には価値がないのと同じ。だからブランディングが大切だといろんなところで叫ばれている。そんなの分かってるよとみんな理解しているけど、焦る気持ちを抑えきれず誰かの真似をする。それじゃダメだと分かっているけど、何もしないことが怖い。毎日更新しないとアルゴリズムから弾かれるんでしょ。やりながら修正していけば良いんだよ。それがどれだけ難しいかは自分自身が一番理解しているのに、また同じ過ちを繰り返す。それを過ちというのかは分からないけれど。

ボクはやさしい写真が撮りたい。だから、色が破綻した写真や、理解に苦しむ写真が好まれている様子を見るとそっとミュートする。SNSに対する小さな抵抗だ。どのようにして、もっとたくさんの人に写真を届けられるか今日も考えていたけどまだ答えは出ていない。どうにかして、アラブの石油王にボクのことを気に入ってもらえないだろうか。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!