空気を読むことも、行き過ぎてはいけないと感じた出来事。(Day98)

私の友人の話ですが、
友人は活字を追うのが苦手で、
よく周りに迷惑をかけ、怒られていました。

文章を読み上げるのにも情報を探すのにも、
どれだけ急ごうと思っても
活字は少しずつしか認識できない。

これは彼自身も認めていることで、
彼は能力が追いつかないことに対して、
努力をしていました。


しかし、周囲からは
足手まといのように扱われてしまう。

それは知らずしらずのうちに
『周りの能力に、合わせないと行けない』
という同調圧力のような
空気感が生んだモノでした。


これは彼に対する理解がないようで、
しょうがないともいえる状況でした。

人の判断基準はいつでも曖昧で、
何でも簡単に
当たり前だとか言ってしまいます。

だから『空気を読む』ということが
過度に行き過ぎることは、
少し怖ろしいことです。


私たちの住む場所には、
見えないルールが存在しています。
皆が共有している雰囲気があって、
乗らなければいけないコードがあって、

それは人が多いほど複雑になり、
積み上げてきた時間がながければ長いほど
堅く結ばれていきます。


それは気軽に個人の意思で書き換えることが
できるものではありません。

その組織にいる人、社会の人たちの
実質的な見えない合意が必要だからです。


例えば、
一歩引くことができない。
周りに合わせられない。
視野を広げられない。
話を聞けない。

何も実害はなくても
そんなふうに空気がよめないと、
時にはダメなことをひどく罵られたり、
鼻で笑われたり、

ありのままでいるだけなのに
それが誰かの気に触れることもあります。


一歩引く
周りに合わせる
視野を広げる
話を聞く

そんなことは、
本来は便利な申し合わせのようですが、
少し行き過ぎると、
その空気で生きるコミュニティのなかで、

できないことが自体がずるかったり、
腹立たしかったり、
誰かにとっては羨ましかったり、
生きづらさを生んだり
といった状況を作ってしまいます。 


本来個人の人となりを正しく判断するには、
みえない裏側のストーリーを
知らないといけないはずです。

しかし、表面的な振る舞いで
『空気が読めない』ことが悪になり、
それだけで人格が否定されることも
あります。


何がいい事なのか、悪いことなのかは、
ずっと昔から引き継がれてきた雰囲気で、
ただなんとなく決められている
ことでしかなくて、

そもそも、空気を読めないことが
いい事なのか良くないことなのか
わからないはずなのに


『空気を読む』フィルターは、
見る側の目を簡単に霞ませてしまいます。


人生は必ずしも
生産性を求めるものではないから、
もう一度確かめてみましょう。

どちらの生き方が幸せで
魅力的か私たちの人生をかけて
将来の楽しみを見てみましょう。


空気を読めなくても、大丈夫。
出来ないことの多さが
そのまま私たちの魅力になるから。

出来ないことは誰にでもあって、
全て気にしていたら自分がもたないから。


それよりも、
できないことを無理に克服するのに
エネルギーを注ぐよりも、

ありのままの自分の
ありのままの素敵なところを伸ばしましょう。


私たちが読まなければいけない空気も、
それに乗る人も、
私たち自身も、
この世界は全て未完成なものです。

私たちの命には限りがあるのも
私たちの創るこの未完成の世界を
リレーするためです。

この世界も、
みんなとのリレーで出来上がったものです。

リレーの中で完成に向けて、
自分ができることをする。
ただそれでいいのです。


今日もあなたが、
あなたの大切にしたいものと、あなたの心が満たされるものを信じて、突き進むことができる。
そんな一日でありますように。

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