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『紛争地の歩き方─現場で考える和解への道 (ちくま新書)』の書評(1)

成蹊大学の平和学特講Bの学生から寄せられた書評です。前回は全ての書評を一挙に公開しましたが、長くなってしまったので、今回は一つ一つ紹介していきます。書評の後に著者(上杉)の返答を付してあります。


本書では、研究や実務で訪れた9つの紛争地に肉薄した筆者が、単純な紛争地の紹介にとどまらず、紛争の背景や構造についても深く切り込む姿が印象的でした。

読み進むにつれ、全ての紛争の要因は結局のところ経済利権や米中・米露の対立構造の転写であることが明白になり、そんな気はしていたけれど信じたくなかった世界の姿 ー「正義」の名の下で行われる民族や宗教等のイデオロギーの対立や差別・抑圧への抵抗も、民衆を巻き込むための仮の対立構図にすぎず、「人道」の名の下に行われる第三者の軍事的・政治的介入も、第三者が自国の利益になる傀儡政権・経済需要を樹立することや、反対に自国の損失になる政権・経済の樹立リスクを防ぐことが実際の目的。平和と安全を相互協力するという国連の理想の姿は既に崩れ、限界が見えた。ー を突きつけられたように感じました。

本書は、筆者の訪れた9つの紛争地、それぞれについて「和解の背景」「和解の旅」「和解の景色」という構成で語られます。

「和解の背景」では、紛争に至るまでと紛争下の史実と、様々なレポートや取材等から見えてくる紛争の実態が語られ、「和解の旅」は筆者の旅のルポルタージュで、実際に経験した紛争地の危険さや取材の困難さと工夫が描かれています。地図や写真も多数添えられており、より現地の様子をイメージしやすくなっています。「和解の景色」では、和解後の現地の様子や、現地民の暮らしや感情、課題について紹介されています(未だ紛争下のミャンマーは和解の展望)。

文体は、読者の感情を過度に揺さぶったり煽ったりしないよう、さらりとした調子で書き進められていますが、それでも読んでいるだけで胸が痛く、辛くなることがありました。実際に現場で取材した筆者の精神的・肉体的タフさに敬意を感じます。

所々に挿入されるコラムや「紛争地を歩く知恵」も、息抜きの良いアクセントとなり、現地に訪れてみようとする読者には真に有益な情報となるだろうと思います。

読み進めていくにつれ、資本主義貿易経済や、民主主義の多数派支配の原理、人道・倫理観が都合よく紛争に利用されており、紛争後においても、当事者の目線を復興や経済成長、目の前の暮らし等、紛争の遺恨や不満から別のものに向けさせることで「和解」の体裁を取り繕っていることが明らかとなり、最終章では、上記のような民主主義の欠点(全体幸福、少数派の少数派)や、「想像の共同体」の煽動、人道支援のパラドクス、「理想の和解」の虚像性についても問題提起されています。

本書において、様々な紛争の関係者を取材し、俯瞰することで見えてくる紛争の共通構造や、理想の和解の実現困難性、国際協力体制の機能不全への指摘が非常に重要な知見だと感じています。一方、それらの原因を「人間の性」として片付け、「底辺の人間」は目の前の生活が大切で、政治や共生について考える余裕がないと諦めるような見解であることは少しもったいないと感じました。このままだと、分断できそうなイデオロギーと政治経済的利用価値があれば、外交とメディアの操作で紛争を起こすことも可能になってしまいます。

非常に長く、重苦しく、手応えの得難い部分ではありますが、利権の追求や空想の共同体意識が「人間の性」であることを認めつつ、個人も国際社会もそこを克服する道、「底辺の人間」でも政治や共生に関心をもち参加する方法を開拓することが、紛争解決学を研究する筆者に期待したいことであり、精神・肉体的にもタフで、人間の複雑な内面に寄り添ってくれる筆者にこそ、それが可能だと感じました。

(上杉返答)過分な評価をありがとうございます。ご指摘の結論における諦観は改善の余地があります。やはり、課題を克服する道を照らし、希望の光を絶やさないことが大切だと感じました。同時に、私は和解を長いスパンでも見ています。今はまだ、目先の生活かもしれないけれど、時間が過ぎていくことで、関心事、ニーズ、環境の変化は、政治に参加し、より満足のいく共生の道を選ぶ底辺の人々が生まれてくると期待しています。日本がそうだったように。

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