人生を彩る極論たち

1.明日死ぬとしたら、メメント・モリ

今日が人生最後の日で、明日死ぬとしたら僕らは何をするだろうか。そんな緊迫の死生観のことを「メメント・モリ」と言うらしいが、仮に明日死ぬとしたら、僕らはもっと精一杯になって生きるのではないか。

真剣になって想像してみる。僕は明日死ぬ。そしたら、少し疲れたからといってベッドに寝っ転がってないで、好きな人には好きって伝えると思う。感謝している人には、恥ずかしがってないで「いつもありがとう」って伝える。やりたくないことはやらないし、きっと大好きなことを大好きな人と思いっきり楽しむと思う。やり残しがないように、悔いがないように、一睡もせずに行動する。

期せずして人は死ぬ。これは極論なんだけど、明日死ぬとしたら、今日は何する?

2.みんな友達だったら

テレビの向こう側で、また人が亡くなった。それは日本人だけじゃなくて、海外の人だったりする。とにかく毎日いろんな人が、さまざまな理由で命を落としているのを僕らは知っている。

じゃあ、みんながみんな友達だったら?

中東の彼もあなたの友達で、よく連絡を取っている。そんな彼がアメリカのクラスター爆弾で死んだと今朝のニュースで知った。そしてこの爆弾の製造会社はどうやら、僕らがお金を預けている日本の銀行から投資を受けているらしい。

あなたはきっと、アメリカには「爆弾の製造を中止しろ」って言うし、日本の銀行には「投資を中止しろ」って伝える。友達を殺してしまったのだから、きっと涙をこらえて、勇気をもって言う。平和のために行動する。

これは極論ではあるんだけど、人間はみんながみんな友達だと思えたのなら、きっと少し優しくなれる。他人に優しい行動を起こすことができる。

3.マフィアの前ではみんな威張れない

満員電車の中で、堂々と脚を広げる人。ポイ捨てする人。歩きたばこをする人。突然大声で叫ぶ人。大勢でつるんでいるからといって強く当たってくる人。小さなことでマウントを取ってくる人。上司だかなんだか知らないけど、態度ばかりがデカい人。

みんな威張ってる。俺こそが、私こそが一番だ、といわんばかりに。

仮に、彼らをイタリアのマフィアの目の前に立たせるとする。彼らは十中八九すくみあがる。冷え汗をかく。ひどい場合は小便を漏らす。

満員電車の中、先ほどまで大きく広げられていた脚はきっちりと畳まれる。ポイ捨てされたゴミは拾われる。歩きたばこは消える。小声でひそひそ話す。マフィアに喜んでマウントを取られる。威張り上司はいなくなる。

これは極論なんだけど、威張っている人はマフィアの前では確実に威張れない。弱い人には強くて、強い人には弱い人。こういう人によって態度を変えるダサさときたら呆れる。意味もなく威張っている人は鼻で笑っていいし、自分が威張ってしまったときは、みんなに平等に接するように心がけよう。