昔話その2

意外に反響があったのでその2です♪
皆さん、わりとコンピュータの方に興味がおあり??

今回も特にオチはありませんw


前回は宅録のことについて書いたのですが、
時はもう少しさかのぼります。

中学ですでにパソコン少年だった僕は
PC-9801というパソコンに憧れるのです。

当時はとても高価で気軽に買ってもらえるものでもなく。。
中学の先生には高専に行くことを薦められましたが、
遠かったので地元の電子機会に強い工業高校へ。

入学してやっとマイパソコンを買ってもらうのでした。
もちろん勉強のためです。

OS遍歴としてはWindows2.0→3.0→3.1です。
2.0なんて多分誰も知らないですよねw
まだMSDOS全盛期でしたから。(知ってます?)

3.1になって本領を発揮した僕はドレミックスという
今で言うAbleton Liveの機能をめっちゃ絞ったようなソフト。
それとバラードというシーケンスソフト。
音源はSC-55です。
ここから僕の打ち込み人生は始まります。
GM音源128音色でひたすら遊んでました。

ハードディスクなんて20MBでしたからねw
フロッピーがCDよりも多くなるわけです。

そんな高校1年生。学園祭でライブをすることになります。
内容は覚えてないけど、とにかく楽しかった事だけは覚えてます。
打ち込みバックにギター弾いたりEWI吹いたりしてました。

高校で出会ったシンセオタクの先輩はマッキントッシュという
虹色のりんごマークのついたパソコンでパフォーマーというソフトを
使っていました。それでYMOとかのコピーバンドをやってました。

ユウジ少年はめっっっちゃ憧れるわけですね。

でも当時のマックは普通の高校生に買えるほど甘いものではなく、
その先輩はお金持ちだったわけです。

バイトを重ねて、親からもらっていたお昼代を限界までケチり、
お金を貯めていたときに画期的なMacが出たのです。
それがパフォーマ550です。

CPUは030の33Mhz、HDDはたったの160MB、
メモリなんて8MBです。
今のデジイチで撮った写真なら5枚でHDD終わりですw

漢字トークが使いづらくシステム7をカッコつけてインストール
してみたり。。

まあともかく憧れのリンゴを買ったわけです。
まだDAWなんて言葉はありませんからね、
シーケンスソフトはEZVisionという安物を使ってましたね。
ただとても使いづらく結局はバラードで打ち込むという。。
でも憧れのMacです!少年はこれで満足でした。

この頃からライブ活動が多くなってくるわけですが、
当然アマチュアのライブハウスで30分枠で5バンドとか出演するわけです。
入れ替えなんて5分もありません。
そこで当時流行ってたTMネットワークみたいに機材を並べるなんて
許されなかったわけです。パソコンなんてもちろん無理。

そこでハードシーケンサーに手を出すわけですが、
打ち込みはパソコンでするのでそれを移植して
再生装置にしていましたね。
QX3→MC55→QY70→QY300
という流れでステップアップ?していきました。

ただトラブルも多かったので、
前回の話にも出てきましたが、MDデータディスクを使った
MTR(MD4)を使って2mixとクリックを別に出して、
安全策を取る方向へシフトしました。
現場で曲の構成を変えられないので、不便ではありましたど。

そんな高校生でしたが、学校の勉強はいつも学年トップでした♪
多分人生の中で一番勉強した3年です。

なぜなら中学で高専を薦められ、遠くて諦めていた僕は
どうしても工業大学に行きたかったんですね。

そして高校でいつもトップをとっていればその大学の
指定校推薦があることを中学の時に知っていたので、
高校入学時からそこ狙いでした。

夢だったロボコンで準優勝を果たすまでに電子工学にどっぷり
つかってプログラミングもあんなに勉強したのに、
親に高い学費まで出してもらったのに、
はい、音楽の道を選んでしまいましたw

この時点ではまだサックスは登場しませんww

音楽の専門学校も音楽大学もどこにも行ってない僕が
なぜプロの道を選んだかという話はまた長くなるので
また次回に。。

その3あるかなー。。

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