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私の『履歴書の空白期』

友達の山中さんが、こんなnoteの記事を書いていた。


とても素敵な記事なので読んで見てほしい。

そして最後にこんなことが書かれていた。

そして、このnoteを書きながら湧いてきたのは、みんなの「履歴書の空白期」のことを聞いてみたい、という気持ちだ。何をして、何を感じ、いまの人生にどう生かされているのか、あるいはいないのか。

日本経済新聞の名物コラムで 『私の履歴書』という、すばらしい企画があるけれど、もしかしたらいわゆる「履歴書」には書けない、「履歴書の空白期」のなかにこそ、その人の深くてやわらかい部分を知る手がかりがあるのかもしれない。(山中さんの投稿抜粋)

読みながら自分の空白期のことを思い出していた。あの時何をしていて、何を感じ、今にどう生かされているのかを。

山中さんにも、こう言ってもらえた。

僕も書きながら、あの時の自分が思っていたこと、感じていたことを振り返っていけたらと思う。

そして他の人にも拡がっていくきっかけにもなればいいなと。

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履歴書を書く時、必ずある特定の期間について
2014年4月1日〜2015年8月16日は履歴書にいつも書いていない。
書いていいのかいつも悩む。

前職を辞めてから、NPO法人を立ち上げるまでの期間だ。

一応は個人事業主の届け出を出している時期。

でも届け出なんて書類1、2枚だけ出して終わったようなもの。

なんの実感も正直沸いてなかった。

フリーランスや個人事業主なんて言葉は体裁を整えるために使っていたようなものかもしれない。

独立したかったわけでも何でもない。するしかなかった。

会社で仕事をすることが僕には難しいんだ、それは自分が社会不適合者なんだと感じることが多くあった。

結果的に会社は辞めてしまった。

そんな自分が、”何か”として生きているってことを作っておきたかった。

あの時は実際は自分がどうなりたいのか、何をしたいのか、一年間ただ闇雲に思うがままに進んでいた時期である。

ある種のモラトリアムの時期だったかもしれない。(とはいえ結婚もかかっていたのでやるしかなかったけど)

自分が”何か”この世界に存在している、何者かであるかのように振る舞わないとやっていけなかった。

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お金がなさすぎて、携帯代すら払えない時期もあった。

多摩都市モノレール代も少し高めなので毎回乗れず、何駅かを歩いて帰った時もしょっちゅうだった。

家賃も払えず、解約し、スーツケース片手にいろんなところを転々としていた。

ダンボールを布団がわりに、毛布がわりにして、寝たこともあった。ダンボールは毛布にはならない。硬い。

立川市こども未来センターに任意団体として登録をしていたこともあったので、共同事務室を使わせてもらっていた。

あの場所がなかったら、今の僕はない。あそこでの出会いやご縁が今の僕を作ってくれたのは間違いない

あの時関わっていたstudio-Lの方々にも改めて感謝したい。

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お金がないことで実家に戻りたくはなかったのを覚えている。

今思うと本当小さいプライドで、ちっちゃい存在だなと思うが、親に助けてということが逃げなんじゃないかと思っていた。

実家に甘えた瞬間に自分がそのまま折れてしまうんじゃないと不安でいっぱいだった。

大丈夫か?と言われたら、大丈夫としか答えてなかったし、答えられなかった。(結果的に、年金が払えず実家に連絡がいき、全部バレるのだが)

助けてと言えた時、人は自立する。

そんな言葉をあの時の自分にかけてあげたい。
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”はいかイエスか喜んで”で仕事を受けていた。

今自分ができることを全力でやるしかなかった。

待ってるだけじゃなにも変わらない。

自分で動いて営業もしに行った。前職での経験が少しでも生きたのが良かった。

やりながら、何ができるか考えていた。

何か価値を提供できたら、きっとそこからまた広がるに違いないと。

あの時のご縁が今に積み重なっている。本当にありがたい。

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それでも2度だけ派遣のバイトに逃げたことがある。

自分のやってることが本当に意味があるのか価値が作れるのか信じきれなくて、お金がなくて不安になった。

ある中学校にパソコンのセッティングをするバイトと、ある携帯ショップでタブレットを紹介するバイトだ。

正直無理やり売らせるような販売の流れだった。

やりながら気持ち悪くなったのと、情けなくなったのを覚えている。

僕はこれをやりたいのか?

前職で学んだあの経験を使っていないお前は何をしてるんだって。

終わった後歩きながら一人で泣いた。
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その時期に高校時代の友達にあった。

今でも覚えている。

「オガ何やってんの?ニート?wwww」

何をやっているかわからない存在の僕はそんな風に思われている。

周りのみんなは企業に勤め、バリバリ働いている。

何者でもないと思われる僕は価値がない存在だと思った。

今でも僕が何やってるかよく分からない、肩書きもよくわかならい人が大半だと思う。

でも今はそれでいい。

その分からなさが僕なのだから。

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あの空白期があったからこそ、本気で自分がどうしたいのか、どうありたいのかを考えれたと思う。

あの瞬間は未来が見えずモヤがかかり、不安で押しつぶされそうな時期だったけど、あの時期があるから今があると心から言えるのは確かだ。

何も見えないなら、動いてみる。そこから見える世界を見つけていく。

それでいいんだと思えた時期だ。


私の履歴書の空白期はざっくりこんな感じ

あの時あれだけ嫌だった空白期は、僕にとっての宝物かもしれない(あの時には戻りたくないが)

最後に山中さんの文章をもう一度載せたい

そして、このnoteを書きながら湧いてきたのは、みんなの「履歴書の空白期」のことを聞いてみたい、という気持ちだ。何をして、何を感じ、いまの人生にどう生かされているのか、あるいはいないのか。

日本経済新聞の名物コラムで 『私の履歴書』という、すばらしい企画があるけれど、もしかしたらいわゆる「履歴書」には書けない、「履歴書の空白期」のなかにこそ、その人の深くてやわらかい部分を知る手がかりがあるのかもしれない。(山中さんの投稿抜粋)

僕もいろんな人の「履歴書の空白期」を見てみたいなと思う。

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