「さよならだけが人生だ」の意味

久しぶりに、人から貰ったメールで泣いた。37歳になってそんなことがあるとは思わなかった。



「勧酒」という漢詩がある。于武陵(うぶりょう)という人が唐の時代に詠んだものだ。引用する。

「勧 酒」

勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離

上記を引用したこのページを参考にして、自分なりに訳してみた。

タイトル「飲ん方(のんかた)」

芋焼酎、ロックでいいよな?

ロックだけどグラス一杯に注いだから、遠慮なんかすんなよ

花が咲いたってあめかぜで散るんだから

人生なんてさよならばっかりだなあ

ちょっと鹿児島テイストを入れてみた。タイトルの「飲ん方」は、鹿児島弁で飲み会のこと。

なかなかに切ない漢詩なのだが、実はこれ、ある人が有名な訳をしている。こんな訳だ。

「このさかづきをうけてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ 
はなにあらしのたとへもあるぞ
さよならだけが人生だ」 (ひろしま観光ナビより)


この最後の一文を「さよならだけが人生だ」と断じたのは井伏鱒二(いぶせますじ)。井伏鱒二は「山椒魚」を書いた人で、「走れメロス」の太宰治の色々世話をした人だった。太宰の二人目の奥さんを紹介して媒酌人もしたのに遺書に「井伏さんは悪人です」と書かれた人だ。ま、それはいいんだけど。

さよならだけが人生だ。

断じ過ぎだ。言い切りすぎだ。他にも人生の構成要素はある。痛々しいほど能力が高い人との素晴らしい出会いとか、愛しい人とこたつに入る時間とか、歯を食いしばって頭をさげる仕事とか、伸びすぎるとくるくる巻いてしまうもみあげとか、ウイスキーにあわせる大根とからすみとか。

でも、今日だけは井伏鱒二に賛成だ。

仕事上の長い付き合いの人と、今日離れた。あっさりとメールで別れた。本当はちゃんと会ってお話したかったのだが、私からのかなり一方的なメールで別れることになってしまった。私がまだ「書く」を仕事にしていなかった頃、私を信じて書かせてくれた人。「書く」ことを私に一つ一つ教え、一緒にネタを悩んでくれた人。その恩を私はまた、返せないまま別離をしてしまった。

別離を選んだ言い訳は100も200もある。けれど、やっぱり恩返しをし尽くせなかったと思う。

こうやってまた私は、大切な人をないがしろにし、損なって生きていく。

そう思った瞬間、「さよならだけが人生だ」という井伏鱒二の訳を思い出した。そして、ここに書かずにおれなかった。もしかしたら、これはこんな意味なのかもしれない。

さよならをするとき、人は一番強く「人生」というものを感じる。嬉しいときよりも、悲しいときよりも、そして苦しいときよりも、だ。人との別離は、いつも私に大きなダメージを与える。そしてさらに私にダメージを与えたのは、このメッセージだった。

「そして、最後に僕からのお願いを一つ。
もしも、僕が大腸系の病気になったら、中山さんに執刀してもらいたいです。
指名させてください。これは、今までお付き合いしてきて、中山さんの人柄や向上心、医師としての真摯な姿勢に共感と尊敬の気持ちを感じているからです。」

こんなに私のことを考えてくれている方から、なぜ私はこぎ出でるのか。こぎ出でなければならないのか。

なぜなら、これが人生だからだ。同じところをぐるぐる回っている訳にはいかないからだ。居心地の良いところにずっと居てはいけないからだ。

「またどこかで」「またいつか」

別れの時に、こんな言葉を言うことが多い。でも本当はみんなわかっているんだ。「また」なんて無いってことを。「どこか」も、「いつか」も無いのだということを。

さよならだけが人生なのだ。

今日ほどこの言葉が身に沁みた日はない。

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中山祐次郎

ひとえきコラム

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