見出し画像

7 weeks #6

2020.07.22 wed

9:00
昨晩からやりとりが続いている父とのメール。点滴ルートを確保するためのポートの埋め込み手術が昨日完了したとあった。右上腕につけたということだった。腕が無理な場合は腰につけることになるが、腰からの点滴は何かと面倒なので、腕に付けられて良かったと言う。腕にせよ腰にせよ、身体に点滴用のポートを埋め込むなんてまるでSFだが、フィクションではなく2020年の医療現場で実用化されているサイエンスだ。私たちはすごい時代に生きている。

年金を受給繰り上げしているから、今からでも受給開始しようかな、とあった。父は職歴からして極めて優良な保険料納付者だったはずだ。払うだけ払って一銭も受け取らずに今、文字通りの意味で明日をも知れぬ命だなんて皮肉なことだった。会社役員は従業員と違って入院を理由に無報酬になったり、職を解かれるようなことはない。だから受給申請をしても、受け取っている役員報酬の分だけ受給額減額はあるだろう。でも、例え少額でも受け取れるなら受け取ればいい。そう書いて返信した。

それから、父に送ると約束した山下達郎の配信ライブの視聴チケットとWiFiルーターを手配する。私のアカウントで父の分を購入し、夫には我が家の分を購入してもらった。アクセス情報は2日前にメールで送信されてくる。ルーターは2週間程度のレンタルで十分なデータ通信量のものを探していたが、2週間も1か月もあまり値段が変わらないようなので、1か月レンタルすることにした。一旦私の自宅に配送してもらい、病院へ送るか届けることにする。

14:00
江東豊洲病院に電話を入れる。父がいる前では聞きにくいことをいくつか主治医に確認しておくためだった。
電話をかけると、主治医のM医師は今は外来診察中とのことだったが、ほどなくM医師から折り返しがあった。単刀直入に本題に入る。

・確定診断がいつ頃出る見込みかを尋ねる。M医師の回答は週明けとのこと。

・治療方針について。この先の治療中、少しでもQOLを高く保てるようにどういう対策ができるのか。特に抗がん剤の典型的な副作用である吐き気について、一度強い副作用を経験してしまうことで本人が身構えてしまい、それが2回目以降の投与時の副作用を誘発する要因につながりかねないと、調べるうちに分かったからだ。
 M医師は「制吐剤などの投与は必ず行う」と言った。今はそれが標準的な治療法になっているらしい。安心材料のひとつになった。

・精神面のサポートの有無について(本人及び家族)。
 本人に対しては、本人から相談があったり、医師から見て明らかに必要(鬱状態など)と思われれば精神科医の診察を受けることができる。だが私が期待していたのはもう少し平時に近い状態で受けられる、カウンセリングのような機能だった。残念ながらそういう仕組みはないようだ。家族のメンタルケア機能もないとのことだった。ないものは致し方ない。父のことは病院に任せるより他にないし、自分の相談先は必要になれば自分で見つけることにする。

・抗がん剤治療ができなくなった場合の終末期医療がどのようになるか
 江東豊洲病院では終末期のケアはしていないため、いわゆるホスピスに転院することになるだろうとM医師。ただし新型コロナウィルス感染症の拡大状況次第でどうなるか分からない(ホスピス側が受け入れを拒否するなどの可能性あり)との留保付き。同居家族がいれば、自宅で往診を受けるという方法もあるとのことだが、今現在父には同居家族はいないため、ホスピスへの転院が第一選択肢になる。

・保険適用外の治療を行う可能性があるか。
 標準治療で効果がなかった場合にのみ検討することになるという。保険診療と、保険適用外治療は同時にはできないルールになっているとのことだった。かつ、コロナの状況なども含めて受け入れ可能な病院が見つかればの話。
 長期化した場合に備えて資金面も準備しておかないといけないので、と私が言うと、「長期化はしないだろうと思います」とM医師が迷いなく言った。

決定的な一言だった。本人には1年程度と伝えているが、実際にはもっと短いと考えている、とM医師が続けた。

私も自分なりに調べた結果、2年は持たないだろう、というひとつの仮説を持っていたが、それよりもはるかに短い予後だった。もっとも「治療なかりせば余命1−2ヶ月」なのだから、冷静に考えれば当然だ。けれど主治医から直接聞く言葉は重かった。
父本人には、気力を保って治療に臨んでもらうために、しかし同時に経営者として”準備”もしてもらうために、1年と伝えていると言う。真っ当な意見だった。
私の懸念は妹とM氏だった。これまでのやりとりから、私の目には、2人がもう少し長い予後を想定しているように見えていた。もしも希望的観測を持っているのなら、どこかのタイミングで伝えなければいけないかもしれない。もはや私と妹とM氏は父のサポートチームだ。とりわけM氏が一番近くに住んでいるため日々の細々としたことを引き受けてくれて本当に助かっていた(そうでなければ私が毎日のように自宅と父の家と病院を行き来しなければならない)。予想外に早く危機的な状況が訪れることで、チームのメンバーが心身の健康に支障をきたすのはまずかった。心の準備をしてもらわねばならない。私だって最善の結果を期待したいが、いざその日が来れば、さまざまな実務がバタバタとやってくる。そしてその際にもこのチームのサポートが必要なのだ。

この日の主治医との電話で、私は腹を括った。私は家族代表で、かつ最悪のシナリオに備える係だ。すなわち、今日明日その時が来てもいいように、楽観視なしに準備を進めると決めたのだった。

投げ銭していただけると、書き続ける元気が出ます!