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【ゆる批評】22歳が考えるフェミニズムと、「公私」の線引きの難しさのお話(完結編)

ようやく、タイトルにつけてみた「公私」の線引きの難しさのお話に入ろうかな、と思う。「公私」というと、少し難しいような気がしてしまうけれど、
「公は試着室の外(人にみせなければならない部分)、私は試着室の中(人に見せたくない、あるいは見せられない個人的な部分)」くらいの認識でさくっと読める簡単な文章です。

個人的な体験を公開しなければならないこと

これは、LGBTの議論の際にもたびたび起こることなのだが、フェミニズムに関して語る際も、「公に意見を言うために、私的な体験を告白しなければ」ならないことである。LGBTのケースであれば、マイノリティーへの抑圧を批判したり制度の変革を求めたりなど、社会に向けて声を上げようとする際、自らのセクシュアリティを明らかにしなければならない、せざるを得ないことが往々にして起こる。

フェミニズムも、ある意味ではそうかもしれない。
その最たるものが性暴力で、性暴力加害者への厳罰化など社会的な制度変革を求める声を上げている人の中には、自分自身が被害者であるという方が多くいる。

性暴力以外にも、セクハラに関して声を上げるために個人的なトラウマ(恐らくは思い出したくないであろう)を告白するケースもある。

他の社会的な活動や、思想の公表と異なり、難しいのはこの点があるからである。「変えたい」という思いはあっても、なかなか声をあげることが難しい。だから、性暴力、セクハラ、性差による不利益は「こんなことを明かしていいのだろうか」という葛藤を伴い、「なかったこと」にされる傾向、可能性が他の分野よりも多く起こるのである。

匿名化するフェミと男ウケ

もう一つの、「公私」の難しさについて説明したい。

小説版の『ブリジット・ジョーンズの日記』で、主人公のブリジットはラディカルなフェミニストである会社の同僚について、

「けたたましいフェミニストほど、男性から好かれない女性はいない。」
と言っている。(原文ママではないです。すみません…。)

この問題も、フェミニズム主張を難しくする。

例えばアンチフェミだとか、フェミニストに反発を覚える男性は少なからずいるだろう。(反発や抵抗、とまではいかなくても"Not All Men"という言葉に表されるように「だから男はダメなんだ!」というように一般化の対象にされることに嫌悪感がある方は潜在的に多いのではないか、と私は思う。)

しかし、彼らのそういった反発や抵抗は一応は「社会をどう捉えるか」というような公的な思想の場で起こることであり、彼らが私的な領域でフェミニストを嫌うとは限らない、要するに、自分のパートナーとして「フェミニスト」を選ばないとは限らない。
実際に私が知っている限りでも、「フェミニスト」と呼ばれるような活動をしている女性で結婚なさっている方はたくさんいらっしゃる。

しかしながら、前回「その2」で指摘したように、私たち世代は(世代を代表するような言い回しをしてしまって恐縮だが)マスメディアから「男ウケ」「モテ」そして「婚活」といった、ある種言い方を変えると「男性に媚びること」を1つのソフトな文化として擦りこみを比較的受けている世代である。(2000年代、女性の非正規労働etc不安定な立場の増加から「家庭」という安定を求める傾向があったことに由来するかもしれない。詳しくはその2で)
確かに、公に「フェミ」発言をする、ことや活動をすることは「男ウケ」とは真逆で、そこまではいかなくても、単純に自分のパートナーが「フェミ」を受け入れてくれるか?ここに葛藤が起こりやすいのかもしれない。

ここで起こるのが、「フェミニズムの匿名化」である。
SNSの発達と共に、Twitterをメインに身元を明かさずに比較的ラディカルなフェミニズムを主張するアカウントが増加し、そういったアカウントのツイートはかなりバズって、フォロワーも多い。

ここで少し危険なのは「匿名」というところである。
もちろん、SNSによって性差を巡る議論は活性化した。
♯METOO議論もSNSとは切り離せないものだっただろう。

しかしながら、身元を明かさずに議論できるようになるということは、もちろんその意見に付随する責任が消滅し、仮想敵を攻撃するようなことも起こる。
同時に、SNSという文字数の少なさから、主張は簡潔化される。つまり、「男はクソ」といったような短絡的ともとれる主張が生まれ、それがリツイートによって肥大化する。
この傾向は、より一層ミソジニストを生むことに繋がるのではないだろうか。

「男性への攻撃」が、フェミニズムと同時に語られるようなことが増えれば、「社会をもっとよくしよう」という本来の意図は失われ、先ほど述べた"Not All Men"の主張も誘発されやすくなるだろう。(最近では、「フェミ(笑)といったような煽りの対象にもなっている。)
議論が活性化する、ということはカオス化することも同時に意味する。
フェミニズムを語る際の公私の難しさは、フェミニズムの匿名化という少なからず危険性を孕んだ問題なのだろうし、
「モテ」や「男ウケ」という言葉を身近に聞いて育った世代でありなおかつSNSにも精通した90年代生まれの達は複雑化した性差への主張のかたちと向き合っていくことになるかもしれない。

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