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これまでで一番大きかったチャレンジの話


▼夢がなかった私が夢を語る大会に出場!?


話は大分、遡ります。

実は私は、人生が好転した時に、
大きなチャレンジをしました。

それは、2015年のこと。

伝説のコンサルタント 福島正伸氏が
人生の集大成として創り上げた、

大人が泣きながら夢を語る大会
「ドリームプランプレゼンテーション世界大会 2015年」

通称「ドリプラ」と呼ばれるプレゼン大会に出場することを決めました。


本選に進めば、
東京ドームシティホールで
(AKB48 総選挙も行われてる場所!)
2000人の前でプレゼンできる

という、まさに夢のような大会なのです。


小学校の頃、夢がなかった私が、
夢を語る大会に出ることを決めたのです!!


▼初対面の人たちに人生をツッコまれる体験

この大会は、70名以上のはじめて逢った方々から
プレゼンをあらゆる角度でツッコまれます。

全員が、愛をもってツッコンでくれるので
全てが気付きの連続。

必然的に人生見直さざるを得ません。

その過程で、応援者が増えていきます。

プレゼンを語るプレゼンターの同期は
戦う相手ではありません。

一緒に、夢を形にしていく仲間。

そして、面白いことに
仲間のプレゼンを本気で応援して一緒に考えると
自分のプレゼンも進んでいくのです。


自立と相互支援を根底の価値観に掲げているので
チームビルディングにもなり

大手企業の研修メソッドとしても確立されています。


この、"人生の洗い出し"と人間としての成長に
興味があったので、

またしても大した夢はなかったのですが、
出場しました。


▼私の弱点

ここに至るまでも、本番1カ月前に5カ月準備してきたプレゼンを
ゼロに戻すという、ドリプラではよくある恐怖の「白紙」現象が起こったり

仲間たちに一カ月前から、お互いの士気を上げるために
朝活やろう!と持ち掛けたものの、一回だけやり引きこもり
あとは全部、他の仲間がやり続けてくれたりと

色々なことがあったのですが。割愛。

なんとかなんとか、プレゼンが仕上がりました。


カメラマンでしたから、プレゼンの資料は
まぁ、自分で言うのもなんですが、
完成度の高いものに仕上がりました。

でも、ライバルであり仲間でもある
同期のメンバーは、

叶ったら社会が本当によくなる
という素晴らしい夢を語っています。

加えて、私は吸引力が弱い。

・・・掃除機の話ではありません。

声量がなく、2000人の前で語るには
届きづらいんです。

リハーサルは、散々でした。

急遽、ずっと応援してくれてたスペシャリストのメンターの方が
ボイトレをしてくれ、つきっきりでサポートしてくれました。

"会場では、一番後ろの席に実際に行ってみて。
そこに届くように意識して伝えて。

全員が自分を応援してくれていると信じて。"

声の出し方もさることながら
「在り方」を教えていただきました。


▼予選を迎えて・・・


そうしてドキドキMAXで迎えた予選。

福島正伸先生が、
「台本は手放しちゃってください!!
今まで準備してきたことを信じて。

伝わるのは、ひとつひとつの細かい言葉ではない。

忘れたら、泣けばいいんです~!!」

と冗談まじりに本気の愛のメッセージを
伝えてくれました。

それまで、肌身離さず持ち歩いていた台本を
その瞬間に置きました。

何かが吹っ切れた私は、
一度も台本なしで練習したことがないのに
本番ではじめて、セリフを見ずに

聴いてくれている皆の顔を見ながら
プレゼンしました。

一番、私が伝えたかったこと。

このプレゼンに出た目的。

それは、夢を叶えたいからでも

応援者を募りたいからでも

ありませんでした。


私が気付いた、

「自分で自分を愛してあげると

こんなにも人生楽しく生きられるよ!!」

日々がんばって、自分を責め続けて

"まだまだ"と、もがき続けていた過去の自分へのメッセージ。

そして、もしもそう生きて辛い人がいるなら

『もっと自分を愛してあげて。

だって、この世でただ一人。
あなたは、かけがえのない人間なのだから。』


ただ、ただそれだけを伝えたかった。

それだけを、受け取ってくれる人に届けたかった。


それを2000人に向けて届けているイメージだけを持って、
出場を決めたのでした。


▼結果は・・・

予選選考は難航したそうです。

何度も何度も、審査員で投票と議論が行われ、
中々決まりませんでした。


結果発表の時間を過ぎても
審査員たちは帰ってきません。

ドキドキだけの時間。
でも不思議と、自分を出し切れた喜びを感じて
どうなっても受け容れられると思いました。

プレゼンを終えた全員が横一列に並んで、
結果を待ちます。

名前を呼ばれた予選通過者は
一歩、前に出ます。

一人目・・・

そして二人目・・・
なんと!!! 名前を呼んでいただけたのです!!!!


私が通過したのは、奇跡でした。


後から聞いた話では、
私は最初、候補に上がらなかったそうです。

でも、何度かの議論の末
残ったとのことでした。


▼チャレンジをして得られたこと

そうして迎えた本選。

まるで星空が輝く夜の海のようで、

ステージからは、観にきてくださった皆の顔は

見えませんでした。


それでも、2000人の熱い空気。

全員が貴重な時間をさいて
このプレゼン大会に関わる誰かを応援して
足を運んできてくれている。


それが、私ではなかったとしても
とてもとても、温かい。
愛に溢れた人たちのエネルギーなことが分かりました。


一番後ろの席の方にも伝わるように。

会場全体を包み込むように

大切に大切にメッセージを届けていきました。

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プレゼンの時間はあっという間で。

ほとんど記憶がありません。


でも、終わった後の休憩時間に

全く知らない方から涙を流して握手を求めていただき

「感動しました。私ももっと自分を愛してあげます」

と仰っていただけたのです!!



終了後にいただけた、感想では

「50代のおっさんですが、涙が止まりませんでした」

「休職中の部下と一緒に聴きに来ました。

プレゼン中、ずっと隣で部下が泣いていました。」



そんなお声が何百も届き、

私が感動しました。



勇気を出してチャレンジして良かった。


私には、社会を大きく変える
素晴らしいアイデアはない。

それでも、確かに想いを共有できる人たちに
出逢うことができた。


かけがえのない、体験をすることが出来ました。


この濃い時間を共に切磋琢磨した、同期のプレゼンター仲間とは、
一生の絆が芽生えました。

ドリプラ


▼この大きなチャレンジ以来の大きなチャレンジ!?

私にとって、この経験は物凄く大きいチャレンジでした。

でも今、このドリプラ以上に大きなチャレンジをしようとしています!!

ドリプラで、2000人もの方々が集まってくださったのは、プレゼンター以上に徹夜して駆けずり回ってくれた実行委員の方々のお蔭でした。
あんなにも素晴らしい体験をさせていただくことができたのは、実行委員の方々、全国から自費で駆けつけてくれるメンター、スタッフの方々の賜物です。

今度は、ドリプラではないけれども、私が実行委員側。
演劇 舞台の企画・運営側をすることになったのです・・・!!!!

つづきはこちら
https://note.com/yuka_cosmos/n/nc69968c0c054


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