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アルハンブラと祖母の庭

 私の祖父母は山の中で農業を営んでいた。山あいの谷川に架かる橋から斜面をうねうねと這い上がる坂道、その奥にある思わず手をついて上りたくなるような短い急坂が祖父母宅敷地の入り口だった。

 昔ながらの農家の作りで、母屋は平たい。土間の台所や縁側があり、勝手口の前には大きな竈とポンプ式の井戸。二階は養蚕に使っていたぶちぬき一部屋。長屋に厩、汲み取り式トイレ。蔵の後ろにも扉があって、大樽の漬物や味噌を作っていた。作業用の広い建屋の脇にある何の木だったか、大きな甲虫やくわがたが捕れた。

 そんな田舎の農家のおばあさんであった祖母は、花を育てるのが好きだった。

 家の前庭から石垣の段々で小さな畑や庭が、前述の急坂の下まで重なっていた。庭には剪定された松や躑躅の他に梅、桃、楓などの木々があり、枝に蜜柑をさしておくと鶯やメジロがやってきた。

 その足元では、石垣からこぼれるように広がる松葉菊や石蕗。落ち着いた紫の桔梗に、露草、すずらん。夏休みはオシロイバナや朝顔やフウセンカズラで遊び、ひまわりの種を食べた。季節になると急に現れる彼岸花。下草に混じってひっそりと咲く野生の蘭。

 湧き水が小さな流れとなって庭を抜けて下りていた。

 どこを見たって背後に見えていた山を借景としよう。豊かな植生の里山だったが、家の周囲は杉や檜、杜松が多い。

 じつに日本の田舎らしい庭なのだが、一緒にカラフルな洋風の花も混ざっていた。となりのトトロのおばあさんみたいな祖母は、意外と華やかな庭が好きだったのだ。

 サルビアの赤、マリーゴールドの黄、ペチュニアのマゼンタ。ジニア(百日草)やダリアは白に濃淡の桃色、赤、黄と忙しい。春のチューリップやクロッカスは平地より遅れて咲いた。シャコバサボテンやベゴニアのしっとりした花びら、ゼラニウムの乾いた膚から漂うあの匂い。ケイトウは鶏冠のものと毛玉のようなものとどちらも植えていて、コスモスと一緒に咲いていた。

  祖母が亡くなって20年近くあとのこと、母とスペインを旅行した。

 グラナダのアルハンブラ宮殿の庭に立って、なんとも言えない既視感があった。サルビアの赤。マリーゴールドの黄。色とりどりのダリア。ゼラニウムの匂い。どこかから聞こえる水の音。風が針葉樹をそっと揺らす。

 なんとも不思議だなと思いつつ、遠く離れた異国の宮殿で思い出す祖母の庭。隣で珍しく静かにしている母を見遣ると遠い目をしている。何を思っているかは聞くまでもなかった。

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