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キセル乗車の若者たち

 前回に続き、イタリアの鉄道にて。特急列車の自由席券のようなものでミラノ〜ヴェネツィアを移動していたときのことだ。

 どうもイタリアの電車の種類や名前が覚えられない。Trenitaria (民営化した旧国鉄)には鈍行とか急行とか特急とか新幹線のようないくつかの種類があって、FrecciaRossaという名前のものは特急か新幹線なのだとは知っている。とはいえ電光掲示板の運行表には特急か新幹線かの略称がアルファベット2〜3文字で表示されているのでややこしい。同じ駅で隣のホームには私鉄のItaroが並んでいたりするのもややこしい。

 この時乗ったのはFrecciaRossaではない、急行のようなものだった。指定席はない。車体も結構年季が入っていて、シートは横4列で並んでいるスタイルだが、プラスチックで硬い。もちろんリクライニングなんてしない。乗客は我先に席につき、私と同行者は席を見つけられずにいた。
 日本の自由席と一緒で、混んでいて座れなければどこかに立っているしかないのだが、座席の間の狭い通路に立って誰かの頭の横に手を置いて体を支え、通る人がいるたびに身を縮めたり誰かの席の隙間に体を押し込むのは嫌だったので、デッキのところで窓辺に寄りかかって過ごした。目の前はトイレだが、通路が広いので客席の方よりも気楽だ。時々トイレを使いにきた人が待っているのかと訊くので、身振りでどうぞと示した。
 窓の外には北イタリアのポー平原、平らな土地が広がっている。草地、畑、冬で葉を落とした樹。農家の佇まい。時折通過するローカル駅は古く、何十年も変わらないであろうすすけた駅舎には人影も疎らだ。
 冬の午後の陽が空と雲を桃色に染めていた。

 列車にはたくさんの人が乗っている。FrecciaRossaに比べ料金が安いためだろう、大人数の家族づれや若者グループが多い。大きなバックパックのユーレイルパス旅行者や移民も目立つ。風体の怪しい人ほど、どかどかとぶつかりながら歩いて行く。
 男の子2人と女の子の三人組がデッキにやってきた。明らかに背後や周囲を気にしながら、男の子2人がトイレに駆け込んだ。
「このトイレ、個室が一つだけだよね?」
「うん、そうと思う」
 思わず同行者に確認したが、やはり中は分かれていない、一つの個室に2人で入っている。女の子は隣の車両へと小走りに移動していった。なんだかよからぬ気配だ。
 続いてやってきた男性はトイレを使いたかったようだが、ふさがっているので肩を竦めて個室の前の壁に寄りかかった。
「何をしているんだろう?」
「たぶん隠れているんだよ」
 何から隠れているのだろう、考えあぐねていると車掌がやってきた。われわれと後から来た人の切符を確認し、それからトイレの個室をじろりと睨む。ノックして何事か声をかけると、中から返答が帰ってくる。すこしやりとりしていたがイタリア語なので私には全くわからなかった。
 やがて車掌は隣の車両へと出ていった。

 車掌が出ていってしばらくすると、女の子が戻って来た。トイレを待っている人はだいぶ待たされて苛立っている。女の子がノックして声をかけると、中にいた男の子2人が出て来た。
 待たされた男性が静かに何事か言うが、少年少女はばかにしたような顔で無視して、ちょうど到着した駅へと急ぎ足に降りていった。彼らはキセル乗車をしたのだと同行者に教えてもらった。

 イタリアの駅には改札らしきものがあるところもあればないところもある。ミラノ中央駅は切符を見せないと長距離路線のホームに入れないのだが、そのあとに経由するいくつかの駅はもっと規模が小さく、どう見ても改札はなさそうだ。車内で車掌によるチェックはあるけれど、降りる際は勝手に降りてそのまま外に出られる。
 乗る前のチェックはないくせに、無賃乗車の罰金はかなり高額らしい。しかし彼らのようにごまかして乗る人は一定数いるそうだ。トイレを待っていた男性も、きっとそれに気がついて咎めたのだろう。車掌との会話も想像がついた。

「改札を作ればいいのに」
 私がそう言うと、イタリア人の同行者は「イタリアだからね」と呟いて、遠い目をして笑った。

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