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「魔法をかける人」になりたくて

GRIT」や「スラック」という言葉をご存知ですか?

なんとなく無意識に使っている「言葉」。あるコミュニティでは当たり前に使われている言葉も、一歩外に出て使ったら怪訝な顔をされてしまうことがあります。ハイコンテクストな状態を当たり前と思うと、思わぬコミュニケーション齟齬が起きることも。

「言葉の力」って、どれだけのものを秘めてるんだろうってここのところ考えているんです。

言語化することで一つ、武器を増やす

「やり抜く力」をあらわす「GRIT」については、こちらの本から学びました。
用例としては、「山口さん(実在の友人)は、本当にGRITある人だよね!」など。いや、ほんと彼女ほどGRITある人なかなかいないんですよ!

「余裕」をあらわす「スラック」はこちらから。
用例としては、「あー、私最近予定詰め込みすぎてて全然スラック取れてない。」など。なんか「暇がない」とか「バタバタしている」よりかっこいい感じ。

元々は知らなかった「GRIT」も、余裕をあらわす「スラック」も、「言葉」を知り定義されたことで、使いこなす力を得た感覚があります。

それは、人間が「言葉」で思考する生物だからなのでしょう。
人は言葉なしには考えることができません。自分が知っている言葉の範囲を超えて考えることは、できないんですよね。

デザイナーさんやグラフィックを扱う仕事をしている方が最近、周囲にとても多いのですが、みなさん「まず言語化しないとデザインはできない」とおっしゃっていて、印象的でした。

一つ言葉を手に入れるたびに、一つものごとを言語化できるたびに、私は武器を手に入れている。そんな感覚を味わっています。

意識くらい高く持ってもいいじゃん

私は自分が「意識高い系」だと自覚しています。一般的な職場にいたらしっかり浮きます。起業前はそんなこともちょくちょくありました(笑)
所属するコミュニティによっては、そのことをあまり表に出さない場合もあります。誤解を恐れずにいうとしたら、ママ友の集まりなどではそのような傾向があります。

この「意識高い系」という言葉も絶妙だなぁと思うんです。この、ちょっと揶揄した感じがたまらないです。
本来なら意識高いって向上心があるということだから、とてもいいことな気がするんですけど、「系」がついただけでいやらしい感じがしっかり出ています。そう思われるのが「嫌だなぁ」と思ってしまう言葉に、ちゃんと仕上がっている。
だから、自覚はあるのに「意識高い系」である自分をちょっと隠したりしちゃうんですよね。

でもでも、人生100年時代とはいっても、気力も体力も十分で何にでもチャレンジできて、世界中どこへでも行ける期間って一体どれくらいあるでしょうか?
どんなに気をつけて健康を維持していても、何らかの事故に遭う可能性だってあるし、自分は元気でも家族に何かあったらそうはいきません。

自分のミッションを追い求めて、そこに近づくためにいろんな挑戦をしたい。そのために「良い習慣」だって身につけていきたい。
そのための時間は誰も保証してくれないのだから、いつだって「今でしょ」なのです。

意識くらい高くなくてどうする。
そう言い放ってくれたのは、今、本業とは別にお仕事をお手伝いしている幻冬舎で編集者をしている箕輪厚介さんでした。
彼の初の著書『死ぬこと以外かすり傷』の中に、こんな一節があります。

NewsPicksを読んだり講演会などに通っている人を「意識高い系」と揶揄する人がいる。
しかし僕は「意識くらい高く持て」と言いたい。世の中の最前線で起きている動きに、五感を研ぎ澄ます。意識のアンテナを4本バキバキに立てっぱなしにしているだけで、リスクを未然に回避できる。ピンチをチャンスに変えられる。
(中略)
はたから見れば意識が高いだけで、結局うだつの上がらない、一番痛い若者だったかもしれない。
しかし、どこかの時点で堰を切ったかのように、それまで蓄積していた知や情報が繋がり、僕のアイデアとなり噴き出していった。行動に繋がっていった。

今でこそヒット作連発の有名編集者になり、テレビにもかなり出演するようになっていますが、私が知り合った頃はまだそこまでのインフルエンサーではなかった気がします。

そんな風には見えないのですが、見城さんや秋元さんの記事や書籍は暗記するほど読み、佐渡島庸平さんや佐々木紀彦さんの講演会に足を運んでは最前列でメモを取っていたそうです。
その頃の蓄積の爆発が、今、起きているっていうことなんですよね。

おかげで私は、思う存分意識高い系を発揮しています。
そして、「なぜ意識高くありたいのか」ということについて深掘りしてみると、落合陽一さんが言語化してくれていたことに思い当たりました。

テクノロジーは、あまりに進化すると魔法と見分けがつかない


私たちは当たり前にスマホをピッとかざして電車に乗っていますが、ほんの少し前までは切符を買って、改札で駅員さんにハサミをいれてもらっていました。ええ、私は昭和の女です。
あの頃の私が今の様子を見たら、「魔法みたい!」とつぶやくことでしょう。今の私もそうなのですが、細かい仕組みは当然わからないのです。わからないけれど、利用することはできるし、「魔法」ではないこともわかるから何の恐れもありません。

これは、気がつかないうちに「魔法をかけられている」とも言えます。そして明確に、そこには誰かの、どこかの企業の意志があるのです。
だったら私は「魔法をかける側」になりたくて、「意識くらい高く持って」「言語化によって言葉の力を得て」、世界への解像度を上げていきたいと考えています。

こういうお話が出てくる落合さんの著書、『魔法の世紀』や『これからの世界をつくる仲間たちへ』は私のバイブルです。

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Yuka Shibayama
会社を経営したり、オンラインサロンを運営したり、秘書をしたりしているワーママです。


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