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文系女子がMCバトルにはまった理由

今年2018年は「ヒプノシスマイク」人気からラップを聴く人が増えたみたいですね。
かくいう私も「とろサーモン」久保田のラップを聞いてみたくて、AbemaTVの『NEWS RAP JAPAN』を観るようになり、その流れで『フリースタイルダンジョン』を毎週楽しみに生活するようになりました。

今までHIP HOP に興味関心はなく、「ラッパー」と呼ばれる人たちはみんな不良で怖いとしか思ってなかったのですが、今や大半の時間を動画サイトでMCバトルを観ることに費やし、SNSでは好きなラッパーをフォローするようになりました。

さて、自分にとってMCバトルにハマったことは意外なようで、実はよくよく考えてみるとそんなことはありませんでした。
むしろ考えれば考えるほど、文系女子がハマるべくしてハマってしまった。それがMCバトルなのだと思います。

MCバトルとは?

DJが流すビートに、MC同士が小節ごとに即興の歌詞を用いてフリースタイルのラップをし、お互いのスキルを競い合う。勝敗は即興性、内容、ディス、韻、フロウなどを総合して判定される。相手から言われたことに対してアンサーがちゃんと返せているかもバトルにおいて重視される。

(wikipedia 「MCバトル」より引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/MC%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB)

要は口喧嘩をラップでするのです!

地上波でも『フリースタイルダンジョン』が毎週火曜の深夜にテレビ朝日系列で放送してますね!(AbemaTVでも見られます)
https://www.tv-asahi.co.jp/freestyledungeon/

1、「韻を踏む」という嗜好

クラシック音楽のジャンルに「歌曲」というものがあります。
歌曲は古今東西の詩に、作曲家が旋律をつけた、多くはピアノ伴奏によって歌われる声楽曲のことです。
有名どころですと、皆さん学校の音楽の時間にシューベルトの『魔王』を聴いたのではないでしょうか?これが歌曲です。

詩を書いたのはドイツ文学史におけるもっとも偉大な文学者、ゲーテです。

さて、この「魔王」ですが、詩はこんなふうになっています。

Wer reitet so spät durch Nacht und Wind?
Es ist der Vater mit seinem Kind
Er hat den Knaben wohl in dem Arm,
Er faßt ihn sicher, er hält ihn warm.

文末に韻を踏んでいます。(母音が揃っている)
韻を踏んでるのは、この詩に限ったことではなくて、おそらく西欧の大半の詩は韻を踏んでいます。漢文も然りですね。

「魔王」のこの詩はそうでもないのですが、ドイツ、イタリア、フランス語の詩を和訳していると「正直意味がわからないなー」ってところが出てきます。この単語の次にどうしてこの単語がくるのか、前後関係が繋がらない。おそらく韻を優先して詩を書いているからそういうことが生じていると思うのですが、意味を曖昧にするほど韻律は優先させたいものなのだろうか、とその嗜好の真髄をどうしても感覚として理解できませんでした。
韻律を聞いた時の心地よさは、母国語としてその詩に触れることができる人しかわからないのではないか、と思っていました。

ちなみに、日本語の和歌や詩は、韻を踏むことに重きや価値をおいていません。そうすると、この「韻を踏む」ことのあじわいがいまいちわからない。
(韻を踏んでる現代詩*下記で紹介*もありますが、西洋文学や漢詩の韻律感に影響を受けていて、ネイティブな美的感覚ではない気がします)

MCバトルの見せどころの一つは、即興で相手へのディス(悪口)にライム(韻)をかます(踏む)ことです。ボキャブラリーや頭の回転の速さに感心するのはもちろんこと、悪口に面白みが生まれ、辛辣さにユーモアを感じることができます。

参考に、『フリースタイルダンジョン』でのICE BAHNのFORK(V.S 魅RIン)のバースを紹介したいと思います。

ここで踏みましたみたいなフロウ止めろ 下品だ
ビートに乗せるだけでいいんだ 気付かせるんじゃねぇ
リスナーが自ら気付く(iuu) そういう感性 俺達が築くんだよ(iuu) 
本物のライムは耳に焼きつく(iuu) 
後で気が付く(iauu)  そしてニヤつく(iauu)

次から次へと韻を踏んだ単語が繰り出されていきます。(しかもライミングしながらライミングの美学を語っています…。かっこよすぎる…)
韻を踏んだ文章(ライン)には旨味がある。
MCバトルを見始めて、そんな感覚をもつようになりました。

ちなみに日本でも戦時中に「マチネ・ポエティック」という運動がおこり、「韻を踏んで現代詩を書いてみよう」という試みがありました。

「さくら横丁」より(加藤周一)

春の宵 さくらが咲くと(o)
花ばかり さくら横ちょ(o)
想い出す 恋の昨日(きの)(o)
君は もうここにいない(o)
ああ いつも 花の女(o)
ほほえんだ 夢のふるさ(o)

うーん。これって韻を踏んでるって言うのかなぁ…。微妙。

2、日本古来の言葉遊び「掛詞」取り入れるかっこよさ

皆さんは百人一首のこの歌をご存知でしょうか。

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず天の橋立

これは名歌人である和泉式部を母に持つ小式部内侍が、歌会に招かれた際に藤原定頼から「大江山にいるお母さんに歌会用の歌を用意してもらってるんじゃないのー?」と嫌味を言われ、御簾の内から定頼の裾を引っ張り、即興で言い返した歌です。

(意味)大江山は遠いので、まだ行ったことはありません。
(母からの文もみていません)

「ふみもみず」というのが「文(手紙)もみていない」「踏んでいない(行っていない)」の二つの意味を持った言葉になります。
売られた喧嘩にクレバーな言葉のパンチを即興で返しています。

そして掛詞を使った言葉の応酬は、MCバトルでも繰り広げられます。
ここでも『フリースタイルダンジョン』でのICE BAHNのFORK(V.S NAIKA MC)のバースを紹介したいと思います。

背伸びすんのはいいけど 身の丈は超えるな
背伸びはまだ地に足がついてっからな
浮足立つなあくまで等身大 そういう言葉にしか俺は応答しない
お前のスタイルが王道になっちまうんだったら
今後バトルの熱は相当冷める
それが正義だって言う HIPHOPシーンなら
俺は抜いた刀をそっと収めるよ


相当冷める...
そっと収める...
そうとうさめる...!!!!!

と、このように掛詞になっています!!(ちなみに前半は文脈に即したライミングが美しいですね)
すごい!現代の平安歌人やぁぁぁ〜〜〜。小式部内侍みたいな言葉のバトルをする人なんて現代にはいないんだろうなー、つまんないなー生まれてくる時代間違った、なんて思っていましたが、いました!平成に!

3、パンチの効いた言葉(パンチライン)に痺れる

相手を攻撃するために、韻を踏んだり、掛詞を使って上手いことをいってみたりということも大事ですが、パンチライン(印象的な一言)も勝敗の行方を左右します。
名作には名言があるように、名勝負には名パンチラインが必ずあります。

『フリースタイルダンジョン』での呂布カルマさん(V.S R-指定)のパンチラインを紹介したいと思います。

▼R-指定

本物のラッパーは場所を選ばねぇ」みたいなこと言ってなかったっけ?
これこれこいつの悪いとこ。全部自分の言葉返ってきてるから
さっきからお前 オーストラリア行って 
お前 ブーメラン振り回してんのか
カンガルーみたく飛び跳ねながら考えろって

▼呂布カルマ

ほんもんのラッパー立つ場所を選ばない そこでラップすればって話だ。(中略)俺はそれをHIP HOPて誰も認めねぇ
あれがHIP HOPだったら俺はとっくにやめてる
ブーメランは確実にお前の首を切り裂いて 俺の手元へ戻ってくる

「お前の言ってることは全部ブーメランだ」というR-指定のディスに対して、「ブーメランだとしても、俺の言葉はお前をちゃんと仕留めてるぞ」という呂布カルマのこの返し...!
「お前の言葉はブーメラン」というのはよくある攻撃で、だいたいそれを言われてしまうと、その部分に言い返す言葉はなくなってしまうのものなのです。そういった側面も含めて、呂布カルマのこの返しはものすごく攻撃力のあるパンチラインでした。(MCバトルでは相手からのディスにどれだけ的確なアンサーを返せるかも大事なポイントなのですが、このラインはパンチラインとしても的確なアンサーとしても機能しています)

最後に

小説とは別に、短いセンテンスにこそ宿る強い意味がある。
広告のコピー、トリュフォーの映画のセリフ、短歌。
高校時代の古典の授業で1000年前の人たちの作った短歌を眺めて、歌会や恋人からあてられる生まれたての新作短歌に触れられる平安貴族がうらやましいとずっと思っていました。

MCバトルも文字数こそ限られていないものの、限られた小節数に即興でライムや掛詞やディスやアンサーを駆使する高度な言葉遊びです。

現代の即興詩はスポットライトの下、マイクとともにHIP HOPのビートにのって紡ぎ出されるのです。

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